2016年3月19日土曜日

英語読書会報告2016-3月



20163月の英語読書会では、MERE CHRISTIANITY BOOK4 「人格を超えたもの-三位一体論序説(BEYOND PERSONALITY:OR FIRST STEPS IN THE DOCTRINE OF THE TRINITY)」の第10章「良い人と新しい人(NICE PEOPLE OR NEW MAN)」を勉強しました。

1.前章で学んだように、キリストは私たちがキリストと同じように完全にしようと働く。しかし、それならばすべてのクリスチャンはそうでない人に比べてあきらかに「nice people」であるのか?

2.世の人々は、全世界をクリスチャンとノンクリスチャンという二つの陣営にはっきりと分けて、比較しようとしているが、現実の世は完全なクリスチャンと完全なノンクリスチャンで構成されているわけではない。この世には、クリスチャンといいながら実はそうではなくなりつつある人もいるし、自分では意識していないがクリスチャンになりつつある人もいる。また、異なる宗教の信者であってもキリストに属している人もいる。だから、クリスチャンとノンクリスチャンを比較して、前者は後者に比べて明らかに良い人間でなければならないと要求するのは妥当ではない。

3.Miss Batesはクリスチャンであるが、いつも人の悪口をいったり非難したりしている。Mr. Dickはクリスチャンではないけれど、いつも周りの人に親切だ。一見するとクリスチャンであるMiss Batesにはキリストの働きが無いかのように見える。しかしそうとも言い切れない。人が外見から見て「nice people」であるかどうかという事は問題ではない。キリストの目から見るとMr. DickMiss Batesも同じように「救い」を必要としている。それは表面的な「niceness」ではなくて、「神に心を向ける」ことであり、それは強制ではなく自らの自由意思で選ばなければならない。「niceness」は、神の恵みによるものであるが、それを自分で獲得したものだと勘違いして神に顔をそむけていると、恐ろしい転落が待っているかもしれないのだ。

4.神の働きは、人々を「nice people」にすることではなく、馬をペガサスにするようなことだ。訓練してより上手に障害を飛び越せるようにすることではなく、全く新しいものに作り変えることだ。その途中の過程においては、背中にコブができたりして変な格好になるが、それが何であるかは誰にもわからない。だから、「あんな人がクリスチャン?」という人がいても、それをもって「クリスチャンはだめだ」と非難する根拠にしてはいけない。

5.そんな変なクリスチャンの例はそこらじゅうにある。だからといってそれをキリスト教に反論する根拠にするとしたら、それは単に問題を避けて通ろうとする言い訳にすぎない。人の心の内にあるもの・・・誘惑だとか、思惑、悩みなどというものは他人には分からないものだ。それを知りうるのは自分だけだ。

6.もし、神がそこにいて、あなたと11で向き合うならば、その時はもはや隣人の姿や、本で読んだことに惑わされることはない。そこでは私たちを取り巻く「自然」とか「現実の世界」などというまやかしの霧は消え去って、「神の臨在」がより明白で、直接的で、避けられないものとなるのだ。

この章は少しボリュームがあったので十分な話し合いができませんでしたが、大筋は次のようなことでしょうか。
・人の魂がどのような状態にあるかは外観から推定することはできない。だから人が「キリスト的だ」とか「キリスト的ではない」などと批評してはいけない。
・大事なのは「自分が」いま、キリストと向き合っているかということだ。
・そして、神は私たちを「nice people」にしようとしているのではなく「new men」にしようとしているということを理解しなければならない。

次回は、2016年4月3日(日曜日)午後2時からです。
個所は、MERE CHRISTIANITYBook 4「人格を超えたものー三位一体論序説(BEYOND CHRISTIANITY: OR FIRST STEPS IN THE DOCTRINE OF THE TRINITY)の11章「THE NEW MEN」を勉強します。
MERE CHRISTIANITY 」の最終回になります。

4月からはJennifer Roberts さんに代わって、新J3Jennifer Jarvie さんが参加される予定です。また、5月からのテキストについては現在選定中です。ご期待ください。