2015年9月19日土曜日

読書会報告「日米開戦の真実(佐藤優著)20150917


「日米開戦の真実」(佐藤優著)

魯迅の言葉に次のようなのがあります。
「人と禽獣はそれほど厳密に区別する必要はない。動物の世界は饒舌や作為は人間世界よりはるかに少ない。彼等は性情の赴くまま行動して弁解はしない。猛禽や猛獣は残忍だが正義の旗を振りかざしたことは一度もない。」

人が争うときは双方が正当性を主張し、勝てば官軍で勝者が正しいことになります。
勿論、「There never was a good war,or bad peace.」(Franklin)と言った人もいます。

私たちはこれまでいくつか敗者の歴史を見つめてきました。
アイヌやアメリカ先住民のように文字を持たない民族の歴史は不明な部分が多いようです。そして勝者の歴史には敗者の論理は無視されていることも知っています。

この本の1部と3部は開戦当時の知識人大川周明がラジオ放送で全国民に訴えたものです。
私たちの父親(祖父)たちはどんな思いで太平洋戦争を見ていたのか、という疑問、戦後親たちから積極的な説明もなく、勿論学校でも教えてもらえなかった疑問が氷解した思いです。

「中国との戦争に忸怩たる思いをしていた日本人たちが米英との開戦に初めて納得した」というのは理解できます。

20世紀は英国を始め帝国主義になれなかった大国はいなかった。米国も大陸のモンロー主義と遅れてきた中国への門戸開放というダブルスタンダードを使い分けた、とあります。

私たちは勝者の手になる東京裁判史観といわれる歴史を学んでまいりましたが、近隣の国々に迷惑をかけたことと米英との開戦の背景は冷静に区別すべきことのようです。

東京裁判と言えばインドのパール判事の判決文(戦後独立まで非公開とされた)が有名です。

パールは裁判官(戦勝国のみにより構成)の中で唯一国際法の専門家でした。彼はA級戦犯全員の無罪を主張したそうです、平和に対する罪や人道に対する罪は事後法であり罪刑法定主義に悖る、というのです。
そしてホロコーストを裁くなら原爆投下についても裁かれなくてはならないと訴えます。
南京事件もバターン死の行進もホロコーストのような、国家が関与した犯罪ではなく、現地の指揮官たちは既にBC級として処刑されている。(その日は雨が激しかった。谷中将は泥土にひざまづき両腕を抑えられた。拳銃が後頭部に押し付けるように発射された。中将が倒れると、びしょぬれのまま見物していた群衆はいっせいに歓呼し拍手した。―東京裁判 小島襄)と述べ、東京裁判は勝者による報復裁判だとしました。

侵略戦争か自衛戦かという点について「原油を止めた上でハルノートのようなものをつきつけられればモナコ公国やルクセンブルク大公国でも戦争に訴えただろう。」とも語っています。(ハルノートには三国同盟の破棄、南京政府との絶縁、インドシナ半島中国大陸からの撤退などが求められています。)

いずれにせよ「急速に帝国主義化、軍事大国化を遂げたアメリカと太平洋をはさんだ隣国という地政学状況におかれた日本は運が悪かったと諦めるよりはかない。」と佐藤氏の言葉です。今やアメリカを中国、太平洋を東シナ海と読み替えなくてはいけないのでしょうか。

現今、東京裁判史観に訂正や注釈を加えることは世界的タブーと言わざるをえません。
一方、新生日本の将来を祈って万斛の涙をのんで裁判を受け入れた先人たちの胸の内を思うとき戦争というものの罪深さに改めて打ちのめされる思いです。          

そしていつになっても戦争がやめられない人の罪深さも・・。

murao