2015年6月25日木曜日

英語読書会(2015年6月)


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7月の英語読書会は、7月5日(日)14時〜16時
個所は、MERE CHRISTIANITYBook 4「人格を超えたものー三位一体論序説(BEYOND CHRISTIANITY: OR FIRST STEPS IN THE DOCTRINE OF THE TRINITY)の5章「THE OBSTINATE TOY SOLDIERS」を勉強します。Native Speakerが2人も参加しているという恵まれた会です。また、翻訳を読んで参加される方もおられます。どうぞ自由にご参加ください。
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20156月の英語読書会では、MERE CHRISTIANITYBook 4「人格を超えたもの-三位一体論序説(BEYOND PERSONALITY OR FIRST STEPS IN THE DOCTRINE OF THE TRINITY)の第4章「良い伝染病」(GOOD INFECTION)を勉強しました。以下の要旨は、発表を担当した、井上さんがまとめたものです。

1.
本章では、私たちは何のためにクリスチャンになるかということについて述べている。

2. 前の章で、神は時間(Time)の中にはいないと述べたが、ここでは原因(cause)と結果(result)の関係も、必ず原因が結果より先にあるということではない、つまり原因と結果は同時に存在しうるといっている。

3. 2章で、神は1つの存在でありながら3つの人格(Person)を持つものだと言った。第1Personは「父」と呼ばれ第2Personは「子」と言われているが、それは「子」と「父と同質のもの」という意味で使われているもので、そこに時間的経過を意味しているものではない。

4. 「子」はいわば「父」から絶え間なく流れ出ているものであると考えるべきだ。それはちょうどランプから光が発せられ、火から熱が発せられるようだ。つまり「子」は「父」自身を現しており、「父」が話す言葉そのものである。またその言葉は絶えることが無い。ただし、これをランプや火のような物に例えるとどうしても「父」と「子」が2つの違う物質のような印象を与えてしまう。正しく理解するためにはやはり新約聖書に立ち戻らなければならない。もっとも重要な点は「父」と「子」の愛の関係である。つまり「父」は「子」を喜んでおり、「子」は「父」を尊敬しているということである。

5. 多くの人はクリスチャンが使う「神の愛」という言葉が好きだ。一般の人が言う「神の愛」とは、どんな状況であれ人を愛することは尊いことだという意味であるが、クリスチャンの言う「神の愛」は全く違うものだ。クリスチャンの信じる愛は、神と共に永遠にあり、生きてダイナミックに働きかけるものであり、他のすべてのものを創造したものである。

6. そして、キリスト教が他の宗教と違う最も重要な点は、神は静的なものではなく、まるで一種のドラマかダンスのように、生きてダイナミックに働くことである。「父」と「子」の結びつきは生きて具体的な物である。そしてその結びつき自体も一つのPersonである。人は、例えば家族とか、何かのクラブあるいは組合などで集まる時、その集まりの中でしか使わない独特の言葉で話したり、そこでしか採らない行動をする。つまりそこではその集団のspiritが語られ、その集団の共有の人格のようなものが形成される。これは集団によって変わるものであるから真の人格とは言えない。「父」と「子」の結びつきにより生まれるPersonもそのようなものであるが、それは不変のものであり、これこそ真のPersonである。それが第3Personであり、これもまた神である。

7. 3Personは「聖霊」と呼ばれるものである。クリスチャンは普段は神を見ていない。しかし神はいつもクリスチャンを通して働きかけている。「父」はどこか遠くにあってあなたを見守っているもの、「子」はあなたのそばにいてあなたがお祈りするのを手伝ったり、あなたがもう一人の「子」になるように仕向けたりするものと考えた時、あなたの中、あるいは背後に第3Personがいて、あなたを駆り立てていると思わざるを得ないでしょう。神は愛である。その愛は人々を通して働く。とくにクリスチャンの社会を通して働く。そしてこの愛のspiritは「父」と「子」の間で永遠に続くものである。

8.
そのことは何よりも重要なことだ。私たちは全員がこのthree-Personal lifeを生き、そのドラマあるいはダンスを演じることが期待されている。つまり全員がこのダンスに参加してその役を演じなければならない。私たちが幸福になるためにはそれ以外の道はない。良いものであれ悪い物であれ、ある種の感染によって得られるものだ。温まろうと思えば火の近くに行かなければならない。ずぶ濡れになろうと思えば水の中に入らなくてはならない。喜び、力、平和や永遠の命を得ようと思ったら、それがある所に行かなければ得られない。それらは特別の人にだけ与えられる賞品のようなものではない。神が選んだ人には誰でも与えられるものだ。人はひとたび神と結ばれれば必ず永遠の命を得る。ひとたび神から離れれば枯れて死ぬ以外にない。


9. 私たちは通常の状態では神の子ではない。しかし、もし神を受け入れ、キリストと共に生きるならば、begottenしたものとして、永遠の命を受けることが出来る。私たちは神の子とされ、神が愛されたように「父」を愛し、私たちの中に聖霊が起こされる。神は人の子となって、神の生き方を伝えるためにこの世に来られた。私はこれを「良い伝染病」と言おう。そしてすべてのクリスチャンは小さなキリストとなってこれを伝染する。私たちがクリスチャンになる目的はこれ以外にない。

10. 話し合いでは、
(1) ルイスは「父と子の姿は新約聖書の中により正確に書かれている」と言っているが、具体的には聖書のどこにそれが書かれているのか。それは新約聖書全体に示されているというのが、多分より正しい回答であると思うが、あえて一例をあげるなら、ヨハネ1421節「わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」
(2) spirit
という言葉は日本語で「精神」と訳すこともあるが、ここでは「聖霊」の意味である。単に「霊」というと悪霊もあるので、聖霊とした方が良い。Soleと言うのはたぶん肉体に対する「魂」ということであり聖霊とは別の物でしょう。

などのことが話されました。