2015年1月23日金曜日

読書会2014-11-20「日本の知恵 ヨーロッパの知恵」



読書会「日本の知恵 ヨーロッパの知恵」(松原久子著 三笠書房)

恥の文化について著者は「古いゲルマン民族はキリスト教に改宗させられる以前、自分たちの神々を奉じていたが、同時に社会倫理としての恥の観念を育てていた。しかしキリスト教と共に来たローマ法の契約の概念によって恥の概念を捨てた。」
と述べています。

キリスト教(特にカトリック?)に対する一種のコンプレックスを感じさせる表現です。

同じような意味のことをフロイトが述べています、

「ユダヤ人憎悪を示しているすべての民族が歴史時代をかなり経過して初めてキリスト教徒になった事実、しかも多くの場合、流血の惨を見る強制によってキリスト教徒にさせられた事実が忘れられてはならない。 彼らは皆『粗末に改宗させられた』のであり―中略―彼らはこの新しい、彼らに押しつけられた宗教に対する恨みの念を克服できずに、この恨みの念をキリスト教の源泉(ユダヤ教―ユダヤ人)へと置き換えた。」

ローマ法王に抵抗した宗教改革はじつは「ローマ法王を滅亡から救った改革」であった、というロジックが思い出されます。
しかしユングは「宗教改革以来、あらゆる現代人はローマ時代以来慎重に築き上げられててきた教会という防壁を広範囲にわたって失った」ともいっています。

近代化を達成した技術革新について悪と見たヨーロッパ人の価値観には違和感を覚えますがルネッサンスを達成した旧教のイタリアと産業革命を達成した新教のイギリスの違いを考えればさもありなんと思います。

日本でのクリスチャンの迫害はヨーロッパでの宗教的迫害の歴史から見れば可愛いものだという記述は歴史というものの不確かさを想起させるものです。

イエスズ会史観とでもいうのでしょうか著者は本書をドイツで出版しているということは
イエズス会の裏付けについて確かなものがあると言わざるを得ませんね。

天草のクリスチャン迫害の記念館は従軍慰安婦像なのでしょうか。
それにしてもキャプテンドレークによる無敵艦隊撃滅がなければスペインの来寇をみたとしても江戸版の神風が吹いたと思いたいものです。

自然と共生の日本と自然を克服しようという西欧の違いは和辻哲朗の「風土」にもあります、和辻の論法は西欧の自然は人の支配が可能なものであったという論旨でした。

最近では環境破壊の問題があって人を自然の上位とする(キリスト教の影響?)考えから自然との共存を目指す生き方が見直されています。

台頭する日本人への厳しい見方はかって「ユダヤ人と日本人」の山本七平氏が警鐘を鳴らしたものです。

しかし今や多様化を容認しなければならない状況になりました、相手の土俵で相撲を取るというグローバルスタンダードではなく地域の、民族の、宗教の多様性が理解できなければ社会の仕組みが機能しなくなったということがわかってきました。

日本の若者の元気がないのはグローバルスタンダードには手が届かない、それでいて本来の自分がよって立つ歴史的基盤(多様性)も持っていない、よく知らない勉強しない、という悲しい状況にあるのではないでしょうか。(未だ国能を得ず又その故行を失う*)

国際社会に訴えるものが日本にまだあって自信を以って持論を展開した新渡戸稲造は幸せだったというべきでしょうか。

鎖国について著者はやや否定的ですが司馬遼太郎は平和の持続、教育の充実、文明の深化などを評価しているようです。両論ありきかと思います。        

以上

(*他国の美しい歩きをまねようとして習得できなかったばかりでなく自分が持っていた歩き方も忘れてしまった、寿陵の余氏という若者の話)