2014年12月28日日曜日

2014年12月の英語読書会



201412月の英語読書会では、MERE CHRISTIANITYBook 312章「信仰」(Faithを勉強しました。その要旨は次の通りです。

1.   ルイスは、冒頭に思い切ったことを書いています。「本章があまり意味がないと考えたら、飛ばしてください。あなたはまだそれを読む段階になっていないからです。自分自身もそうかもしれない。」ルイスはキリスト教には外から理解しうることもあるが、信者になってある段階を過ぎないと分からないことがある、と言っています。
2.   ルイスは、私たちが二つの発見、すなわち①実践によって良いクリスチャンにはなれないということおよび②神はわたくしたちが必要とするすべてを与えてくださるということとを発見するならば、神が私たちの中に働き(work in us)始めるのである、と述べたが、これにたどり着くためには、「自分ではどうにもならない」(Bankruptcy)を知らなければならない、そしてキリストに自分を助けてくださるようにゆだねることである。
3.   ただすべてをゆだねるということは、善い行いをすることを止めてしまうということではない。善い行いと信仰は共に助けあうということである。善い行いは信仰を強め、信仰はより善い行いをする願いを生み出すのである。
4.   ルイスにとって、フィリピ人への手紙2:12-13がこのテーマの鍵となる聖句である。「だからわたしの愛する人たち、いつも従順であったように、わたしが共にいるときだけでなく。いない今はなおさら従順でいて、恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい。あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。
5.   あることをするということは、良くなるためでもなく、天国に入るためでもない。何故なら私たちはすでにキリストの中にいるからである。
6.      話し合いでは、次のような発言がありました。
    ルイスは努力を最大限までしてはじめて自分の無力を知り、神にゆだねるとあるが、やはり善い行いをするという点が強調されている点は、ルター派の信仰とは違うように思う。
    ルターも必死で努力して自分の無力を知り、行為では救われないという考えに到達したが、ルイスも全く同じことを言っているのではないかと思う。ルイスが行為をよく取り上げてきているが、恐らくルイスが語りかけているイギリスの視聴者は行為の大切さを教え込まれてきたのかもしれない。その視聴者を念頭に置いているということもあるかもしれない。しかし、その結論は、ルターの結論と全く同じであると思う。本章はルイスがここまで推し進めてきた思考のクライマックスでもあると思う。
    見えるものを信ずるというのは、信仰ではない。見えないものを信ずるというのが信仰である。
    救い(Salvation)というのは、もめ事が解決されるというのではなくて、人間は本来罪人であり、神により罰せられるべきものであるが、神の御子が十字架の上で人間の罪の償いとして死んだくださったことによって、神の前で許され、受け入れられる、ということである。
    罪深いということは、原罪ということが旧約聖書を基に、キリスト教では説かれるが、「不思議なキリスト教」の中では、ユダヤ教やイスラム教では、旧約聖書を聖典としているのに、原罪という考えはない、と書かれている。その説明を知りたい。
    ユダヤ教やイスラム教では、人間の罪をどのようにとらえているかを勉強しなければならないですね。比較宗教学の専門家の意見を聴きたいですね。
などです。


7.次回は、201514(日曜日)午後2時からです。
個所は、MERE CHRISTIANITYBook 4「人格を超えたものー三位一体論序説(BEYOND CHRISTIANITY: OR FIRST STEPS IN THE DOCTRINE OF THE TRINITY)の第1章「作ることと生むこと」(MAKING AND BEGETTINGを勉強します。Native Speakerが2人も参加しているという恵まれた会です。また、翻訳を読んで参加される方もおられます。どうぞ自由にご参加ください。