2014年10月21日火曜日

読書会2014-9-18「武家の女性」



 武家の女性 山川菊枝             2014.9.18

ローマ帝国が滅びた原因は色々あるようですがそのひとつに元老院の弱体化が指摘
されています。 
元老院を構成する名家の滅亡は少子化にもよりますが、度重なる権力闘争に端を発した
殺し合いによるものだそうです。
規模の違いはありますが幕末から維新にかけて[天狗党]と「諸生党」にわかれて
数年に亘り互いに殺し合いを繰り返した両派の内乱は惨憺たるもので女子供を巻き込んだ
で水戸藩の名家の大半は離散滅亡してしまいました。
「明治新政府の中枢に水戸藩出身者が少ない。」となげく土地の古老の声が伝えられます。

水戸は徳川御三家ですが光圀の大日本史に象徴される勤皇思想の強い土地柄で流れを汲む斉昭などは維新後、戦前の日本ではたかく評価された藩主です。
幕末では「安政の大獄」で隠居させられ、桜田門外に水戸浪士の暴発を招きます。
会沢正志斉、藤田東湖、青山延于(著者の曾祖父)などは水戸学の中心的存在でした。

天狗党の旗頭、武田耕雲(加賀で捕えられ斬殺)の末娘(23歳)が5年間牢屋に入り、維新後出牢を許された時に「それじゃあもうこんなおいしいおこうこは頂けないのでしょうか」といったという言葉(p163)は衝撃的です。
牢内のおかずは沢庵と決まっていたそうです。
これは笑うべくしてあわれな話かもしれません、しかし私にはこの言葉は「幸せとはなにか」を厳しく問いかけてくるように思えるのです。

着物が縫えて髪が結えるようになる145才で結婚し、七去三従の教えの中黙々と生きる女性たちの姿を女性解放論者の著者は憧憬の念を交えて書きとめています。
近代の人が見れば理不尽で不幸な存在としか言えない状態ですが彼女たちにとって不幸なことだとは夢想だにしなかったでしょう。 
「知らぬが仏」といってしまえばそれまでですが・・。
著者は「女たちは貧苦とたたかい、迫害を忍んで、黙々として家を守り子供を育ててきたのでありました」と喝采をおくっております。

耕雲の末娘が牢の中で「おこうこを頂いて」感じていた幸せはどんな幸せだったでしょう。
現在の私達が当時の女性暮らしを「可哀そう」と思うのは思い違い、と言えそうです。

満たされない欲望情報が充満する現代をストレス一杯で生きる女性(男性も)と当時の水戸の女性とどちらが幸せなのでしょうか・・幸せとは何かが問われています。


その他、私のメモをいくつか列挙します(順不同)、

塾:教師は世襲ではなく藩が認定する、学費は安く兄弟が何人いても一人分払えばいい。
  筆墨のない子には教師が与える、クラスは家族同然、教師は天職。
  女は4歳から12歳まで手習いをやり15歳まで縫子として着物を縫う。
着物:女の財産で夫も不可触、糸から作ったので相伝物が多かった。
しかし幕末の開国で一変する(貨幣経済)。
住居:藩所有の敷地(300坪~数千坪)に広大な屋敷があり保全に手が届かず化物屋敷が
   多かった。 同居人は独立できなかった次男三男、父方は勿論、時に母方の親戚
縁者、妾、或いは父、祖父の妾、家僕、女中、遠戚など大家族で藩の福祉行政の届かぬ所を家(庭)が補っていた。
結婚:奥様(正妻)お部屋様(身分違いの正妻)妾とありお部屋様以下は自分の子でも
主人として仕える、奥向きは奥様(お部屋様)の権限範囲。
家録が世襲制であることが大きかった。長短相克か。
男女とも若死が多く再婚も多かった。
婦道:婦道教育は以心伝心で出来ていた。(武士道と同じか)
贈り物:手作り(自分で削った竹の箸など)のもので金を払って買ったものではない。
入浴:週一度(もらい湯もあり)、清拭、行水、腰湯など毎日、
江戸の銭湯では見ず知らずでも互いに背中を流し合った。
食事:質素で素材は殆ど自給、味噌は自家製で毎食味噌汁。納豆の記事はなかった?

「武士の娘」と言う同じような題名の本があります。
やはり幕末維新を経験した長岡藩の家老の娘、杉本鉞子(えつこ)という著者によるものですがこちらの方が明るい、民俗学的には山川の方が興味深いものがありますが一読を
お勧めします。 以上