2014年10月21日火曜日

読書会2014-6-19「武士道」



読書会 武士道 新渡戸稲造          2014.6.19

グローバル化の中で日本人としてのアイデンティティーが問われています。
子供のいじめや若者の無気力化、非行が目立ちます。
官僚や政治家など指導的地位にある階層の無責任な姿勢も目につきます。
親も学校も精神面での教育をどのようにするのか手つかずの状態です。
戦後70年の日本の歩みの功罪のうちここにきて罪の方が姿を現してきたと思われます。

日本人が人として生きて行くときの価値基準というかバックボーンを失って70年の
長い時が過ぎました。
仏教や神道、皇室が求心力を失い、キリスト教は全人口の1%と停滞し宗教が役割を果たすという状況ではありません。
現在日本人の価値基準のなかには欲望という癌が巣食っていて増殖を続け社会の機能を
マヒさせているという危機意識を持つ人もいます。

新渡戸稲造が今の日本を見たらなんというでしょうか、「1億光年の星の光は1945年を
もって地上に到達することをやめた、しかしもう一度あの星を取り戻そうではないか、
日本人の意識下の意識(唯識)には未だその余光が残っている。」と言うのでしょうか。
それとも「過去千年をかけて培ったものが百年を待たずに壊滅した、日本民族に巣食った病巣は深い、民族の再生があるとすれば残念だがかなり先のことになろう。」とさじを投げるのでしょうか。

最終章、「武士道の将来」は、いまバンコクの涙を飲んで民族の挽歌に代えようというのでしょうか、いやそうではない、といいたいものです。

内容をメモしました。
第一章      道徳体系としての武士道
武士道は日本固有の文化であり1900年現在まだ生きている。
武士道はノブレスオブリージュである。(貴族の道徳)
武士道は不言、不文(不立文字)であり行いにより確保される。
    (ラスキンの、戦争で学んだものを平和で浪費した。は興味深い表現)
    (In war,resolution;in defeat,defiance;in victory,magnanimity;in peace,goodwill.   W.Churchill を想起する)

第二章      武士道の淵源
仏教(禅)- 平常心、服従、沈着、死を恐れぬ心
神道- 忠君、孝、愛国(自然崇拝)
儒教-五倫の道は古来より日本に存在した。 君臣、父子、夫婦、長幼、朋友。
   知行合一を重んじた陽明学が影響を与えた。
   これらは16世紀に最高度に発揮された。
   (父子親あり 君臣義あり 夫婦別あり 長幼序あり 朋友信あり 孟子)

第三章     
裁断の心なり、道理に任せて決心して猶予せざる心(林子平)
(義を見てせざるは勇なきなり)
世事にいう義理にはあらず。
    (道理に戻りて曲を蒙るの日に至っては世界中を敵にするも恐るるに足らず。
    日本国中の人民一人も残らず命を棄てて国の威光を落とさずとはこの場合なり。
    -福沢諭吉、学問のすすめ。)

第四章      勇 敢為堅忍の精神
敢為の行為が勇気の動態的表現たるに対し平静はその静態的表現である。
勇敢なる人は常に沈着である。
(深沈厚重は是れ第一の資質、磊落勇豪は是れ第二の資質、聡明弁才は第三の
資質なり。 敵に塩を送った謙信によれば経済制裁は卑怯な手法となる?)
(先代萩、大田道灌の最後、前九年の役、謙信塩を送ること)

第五章      仁 惻隠の心
キリスト教の愛に近い概念-「武士の情け」という表現がある。
政治は仁に依らねばならない。 
武士は優雅の感情を持つために詩歌を作るがこれは他人の苦痛に対する思いやり
(惻隠)を生み、他人の感情を尊重することから生ずる謙譲、慇懃の心は礼の
根本をなす。(一の谷ふたば軍記、大高源吾、薩摩守忠度の歌)
The bravest are the tenderest ,the loving are the daring. デロール英政治家)

第六章     
他人に対する同情的思いやりの表れで殆ど愛(仁)に近い。
何かをなさんとする時それをなす最善の道がありそれは最も経済的であると同時にもっとも優美なる道であるものを礼儀作法とする。 茶道もしかり。
礼儀は仁愛と謙譲の動機により発し、他人の感情に対する優しき感情によって
動くものでそうでなければ虚礼である。

第七章     
誠のない仁は茶番であり芝居である。
武士に二言はない、武士は誓いをなすことを恥と考えた、証文は商人の業。
虚言は罪ではなく弱さとして不名誉とされた。
一の真実は果たして勇気以上の動機を持つや、と問う。
(勇気ある嘘も時にある?至誠にして動かざる者は未だこれあらざるなり-孟子)

第八章      名誉
名誉の裏に恥がありこの方が効いた。
(西洋を罪の文化、日本を恥の文化とした。-Rベネディクト
Man is the only animal that brushes. –Mark Twain
An injury is much sooner forgotten than an insult.-Chester Field
最近の親は子供に恥を知れという叱り方を忘れている?)

第九章      忠義
中国では孝を第一とし日本では忠を第一とした。
菅原伝授手習鑑はアブラハムのイサク奉献と同根であるとした。
忠義心と良心は別物で良心に戻った忠義は忠臣ではなく寵臣、佞臣とされた。
死を賭しての諌言(諌死)もあった。
キリスト教と皇室問題をとりあげて大逆という意見に弁明がなされている。
武士道は我々の良心を主君の奴隷となすべきことを要求しなかった、という。
(忠臣は二君に仕えず 貞女は二夫にまみえず)

第十章      武士の教育及び訓練
教育の第一の要点は品性を建てるためにある。
智仁勇の智は行動のための判断力を指している。
読み書きはよいがそろばんは蔑視された。
財政は下級武士のしごとであり武士は金銭に基づく凡百の弊害から久しく自由であった。
教師の職業は神聖なものとされた、「知識でなく品性が、頭脳でなく霊魂が琢磨啓発の素材として選ばれた」からである。(現代の教育現場への痛烈な提言か)
          
第十一章 克己
     勇も礼もその裏にはストイックな心性がある。
     日本人の感受性が鈍いわけではない。抑制を教えられてきた。
キリスト教の信仰告白については日本人にとって「最も神聖なる言葉、最も
秘かなる心の実験を烏合の聴衆の中にて述るは真に耳ざわりである。」という。
同様な表現は内村鑑三にもあり心すべきことである。
「じっさい日本人は人性の弱さが最も厳しい試練に会いたる時、常に笑顔を
作る傾きがある。」を読むとき今次震災時の東北の方々の顔を思い出す。
千代女の句は胸に迫るものがある。

第十二章 自殺および復仇の制度
     切腹は霊魂の宿る腹部を開いて見せる。
    「武士が罪を償い、過ちを謝し、恥を免れ、友を贖い、もしくは自己の誠実を証明する方法であった。」
生麦事件の切腹の様子が語られる。
死に急ぎは犬死にとされた。山中鹿之助の歌が紹介されている。

第十三章 刀 武士の魂
     刀は芸術品であると同時に武士の魂とされた。
     伝家の宝刀は抜かぬことをもってよしとした。 活人剣が尊ばれた。
     武士の究極の理想は平和であった。

第十四条 婦人の教育および地位
     武士道の求める女性像は勇婦であり家庭的なものでもある。
     死を以って貞操を守るとし短剣を所持した。
     婦人の芸道は家庭人としての奉仕のためのものであった。
     (袈裟御前、木村重成の妻の話)
     アメリカの「女性主権者」のいかがわしさに言及しローマの主婦が家庭性を
失って道徳が腐敗したことを指摘している。
     そして「男女平等はどういう物差しでいうべきかその尺度は複合的性質のものでなくてはならない。」としている。
     夫婦についても「アングロサクソンと日本人は考え方が違っており一方は独立した個人であり他方は自分自身(の一部)である。」という。
     現在の日本の状況を作者はどう見るだろうか?
     当時においてこの章を作った作者の識見に注目したい。

第十五章 武士道の感化
     過去の日本文化は武士道の賜物である。(エジプトはナイルの賜物である)
     芝居、寄席、講釈、浄瑠璃、小説はその主題を武士道から取った。
     「花は桜木人は武士」として全民族の理想とされた。
     本居宣長の歌「敷島の・・」は西洋のバラと比較するとき武士道がよくわかる。

第十六章 武士道なを生くるか
     武士道は抵抗しがたき力として国民を動かして来た。「かくすれば・・松陰」
     維新もこれに依った、現在(当時)もまだ指導理念である。
     武士道は哲学(キリスト教神学?)を必要としなかった。
     キリスト教は日本形成に影響を与えていない。
     現在の宣教師は日本の歴史も日本語も知らないで宣教をしているがキリスト教       
     は武士道に対抗する価値観として大きな勢力となり得る。
     その点から武士道の命脈はそう長く続かないかもしれない。
(現今は虻蜂取らず?)

第十七章 武士道の将来
     騎士道はキリスト教会によって保護された(?)が武士道を保護する宗教は
     なかった。(教育勅語は?)
     神道は古ぼけ儒教は効率主義の敵ではなかった。
     平民主義は指導階級の道徳を認めない。
     キリスト教が救いとなってくれるか―なるだろう。

     環境は厳しいが武士道は日本人の皮膚の下に息づいている。 以上