2014年2月28日金曜日

読書会20140220「古代史で楽しむ万葉集」


読書会メモ「古代史で楽しむ万葉集」中西進著

万葉集45百首の歌の中には作者のはっきりしない東歌や防人のものもありますが半数は歴史上存在した人の歌です。
そしてその時代背景とその人の環境を知ることはその歌の理解を一層深めます。
また天皇、皇后をめぐる血縁関係は複雑ですがこれをよく理解することが求められます。
皇室、蘇我氏、藤原氏の系図を手元に置いて眺めながら読むことをお勧めします。
それと岩波の「新訓万葉集」がそばにあれば万全です。

1.古代の歌うた

56世紀の歌は表記ではなく口唱だったそうです。磐姫という嫉妬深い仁徳の后の
歌が顔を出します。蘇我稲目の二人の娘が初めて蘇我氏出自として欽明天皇の后となり
蘇我氏が豪族として姿を表します。
欽明の孫、推古女帝が即位するのは皇太子として候補者が絞り切れなかったことを表しているのだそうです。 候補者としては古人大兄、山背大兄、中大兄の各皇子がいました。
(大兄は皇太子有資格者) 
その後、山背は蘇我蝦夷により一族と共に斑鳩の宮で殺されます。(集団自殺)
この出来事を書いた本に黒岩重吾の「斑鳩王の慟哭」という本があります。
我が子を惨殺された父、聖徳太子の怨念を鎮めるための寺、という捉え方で書かれた
梅原猛の「隠された十字架―法隆寺論」は好評を博しました。

2.大化の改新

欽明13年伝来の仏教の是非を契機として物部氏を圧倒した蘇我氏の隆盛が続きますが
これに対して蘇我氏の色の薄い中大兄と藤原鎌足がクーデターを起こすのが大化の改新
です。 
蘇我氏を滅ぼした中大兄は蘇我馬子の娘を母とする異母兄の古人大兄を隠棲(逃亡)先の吉野に襲って殺し、大化の改新の功労者である蘇我石川麻呂も殺してしまいます。
後日談ですが中大兄の后であった石川麻呂の娘は悲嘆の末、早逝するそうですがその孫の
大津皇子は叔母の持統天皇により非業の死を遂げるのですから呪われた血族です。
中大兄は叔父の孝徳天皇を難波の宮に置き去りにして窮死させ皇極天皇であった母を再び斉明天皇として登場させます。
さらに中大兄は身の危険を察知して狂気を装っていた孝徳の子、有馬皇子を殺します。
殺された皇子がよんだ2首の歌(p48)を聞いて感動した額田王が「皇子はこの歌を詠むためにのみこの世においでになったのだ。」と述懐する様子を井上靖が「額田王」という著書で述べています。


3.近江文化

百済応援のための九州へニギタツからの出航の時の歌(額田王)は勇壮でしたが、663年の白村江の敗戦は政府に大打撃を加えます。
中大兄は大和を棄て近江に都を移します、三輪山に別れを告げる額田王の歌は名歌ですがちょっと淋しいものです。
額田王は天智の妃ですが若い時に弟の大海人皇子(天武)との間に十市皇女をなしており
兄が弟の想い人を取り上げたのです。後年、壬申の乱の一因ともいわれています。
天智の大和三山の歌は勝手な言い分と言われても仕方ありません。
天智は斉明没後も7年に亘り称制を続けますが著者中西氏は妹の間人皇女(孝徳の后)
が中皇命として皇位にいたのではといっております。
なお、間人と天智の男女関係にも指摘があり孝徳の歌とも重なって天智の人徳はあまり
評判がよくありません。
もっとも古事記、日本書紀は持統天皇(壬申の乱の勝者)時代の編ですから割り引く必要もあります。
また著者は額田王を「詞で仕える女」として捉え後世の人麿よりももっと宗教的(政治的)な立場の女性であっただろうとしています。

4.壬申の乱

671年天智の子、大友皇子が太政大臣となります。妃は十市皇女です。
大友の母は伊賀采女宅子といい地方出身の采女で蘇我氏でも勿論藤原でもありません。
大友は維新後、弘文天皇とされますが当時即位したのではないかといわれています。
そして同年天智は死に、翌年大海人が隠棲先の吉野で反乱の兵を起こします。
一カ月の戦いで大海人(天武)側の大勝に終わります。
乱の前後の模様は黒岩重吾の「天の川の太陽」に面白く書かれています。
妃のウノノサララ(後の持統)息子の高市皇子、大津皇子の支えは勿論ですが天智の失政をうらむ東国豪族の支援が大きく影響したようです。
この時、天武の戦勝祈願に答えてくれたとして一地方神だった伊勢神宮が重用され、あとで大津の姉(大泊)が斉宮として出向します。
天武が死に、妻の持統女帝が即位し、天皇の地位は強大となり人麿が活躍します。
この間天武の死後すぐの事件として大津皇子の賜死があります。
持統としては我が子草壁の対抗馬として評判の良い甥、大津の存在は許せなかったのでしょう。早くに母、大田皇女をなくした姉の大泊(大来)の悲嘆が歌われています
万葉集165番の二上山の歌は本書にはありませんが是非加えたいものです。
大津と石川郎女の恋物語は額田と大海人のそれに似てあわれです。
大津の悲話は折口信夫の「死者の書」、黒岩の「天翔る白日」にあります。

5.藤原の新都

持統は飛鳥から藤原への遷都をして政権は安定します。
天武の子も天智の子もそれぞれに居場所を得て無事に世を送って行きます。
その中で高市皇子と十市皇女(大友妃)の恋と十市の急死(自死)。
穂積皇子と但馬皇女(高市妃)の恋物語が印象的です。
持統の後継として孫の文武が即位するのもこの時期です。
持統は波乱万丈の生涯を安心感と共に閉じることになります。

6.人麿の哀歌

著者は人麿の長歌を高く評価しますが私には官制の臭いがするようで短歌の方が素直に
響きます。 髙市への挽歌は壬申の乱の描写で有名です。

7.平城の栄華

文武の死後(25歳)母、元明が即位します(不比等の娘、宮子の子、首皇子は7歳、長屋王が有資格者として見えてくる・・やはり女帝の出番です。)
元明は710年、奈良に都を移します(平城京)。
方約一里、20万人が住んだと言います(内官人1万、貴族百数十人)。
当時の日本の人口は6百万人だったそうです。
元明のあとは娘の元正が同じく女帝として即位し首皇子の即位は引き延ばされました。
蘇我氏の血を引く最後の皇女として元明、元正の悩み、藤原氏への対抗意識等については
永井路子の「美貌の女帝」が面白く読めます。
その元正も45歳で退位、首の聖武が即位します、ここで初めて蘇我氏と縁が切れ藤原氏登場ということになります。

8.百花繚乱

「人麿は赤人が上に立たむこと難く、赤人は人麿が下に立たむこと難くなむありける」と
紀貫之をして古今の序にいわしめた山部赤人が登場します。
壬申の戦乱から時間が経ち天皇による統制(神格化)の強さが弱まってくる時期です。
大伴旅人、山上憶良、等が現れます。

9.天平の陰翳

髙市の息子で蘇我氏最後の血を引く有力者、右大臣、長屋王が抹殺されます。
その妃、吉備皇女は元正の妹ですが子供たちと共に殺されます。
口実は聖武の子を呪殺したという罪でした。
新興の藤原氏に対抗して長屋王に肩入れしていた大伴旅人、憶良らは窮地になります。
その後、天然痘で不比等の四子が亡くなりますが、葛城王(不比等の妻、三千代の子)が橘諸兄としてつなぎます。諸兄から藤原仲麻呂(恵美押勝)へとつなぎ、仲麻呂が権力を振るいます。仲麻呂の専横に対しては奈良麻呂の乱があり一族の連座もあり大伴家持はますます苦境に立ちます。家持の左遷された因幡での歌が万葉最後の歌となります。

10.みやびの抒情

中臣宅守と狭野茅上娘子の悲恋の贈答歌は胸を打つものがあります。

11.無名歌の世界

東歌、防人の歌がありますが本書にはあまり出てきません。
万葉集、巻十四、巻二十で素朴な素晴らしさを味わって見て下さい。

巻十四では、
335133733386339934003404342734283441
34553459348335193528353235693577

巻二十では、
432143274331433243344351435443574364
436943844388440144044413441644254427
44324436

などがお勧めです。

by murao