2013年5月4日土曜日

読書会「銃・病原菌・鉄」第二部 食糧生産にまつわる謎 20130418




「銃・病原菌・鉄」第二部 食糧生産にまつわる謎

第4章 食糧生産と征服戦争

「食糧生産と植民」
図4-1の理解をしよう。-東西に延びるユーラシア大陸の確認。
狩猟採集民に比べて農耕牧畜民の方が圧倒的に人工包容力がある。
定住生活は出産間隔を短縮する、狩猟民は4年、農耕民は2年間隔で出産。
食糧の貯蔵を可能にし、官僚や軍人が発生、技術発展のための職人、記録係(書記)も
生まれてくる。

「馬の家畜化と征服戦争」
馬は陸路輸送、農耕に変革をもたらし征服戦争に貢献した。ウクライナ地方の印欧語が
西ヨーロッパを席巻したのは馬(征服)によるものである。
BC1674年ヒクソスのエジプト征服、5世紀のフン族によるローマ帝国征服、13世紀のモンゴル人による大帝国はすべて馬の軍事活用によっている。

「病原菌と征服戦争」
天然痘、麻疹、インフルエンザ等は動物の病原菌の突然変異種で農耕牧畜民はこれらに対する抵抗力をしだいに身につけていた。
病原菌はヨーロッパ人がアメリカ、オーストラリア、南アなどの先住民を征服する上で決定的な役割を果たした。

5章 持てるものと待たざる者の歴史

「食糧生産の地域差」
人類史は「持てる者」が「持たざる者」に展開した不平等な争いの歴史である。
いま世界の穀倉地帯となっている地域の内でもBC4千年まで農耕の始まらなかった地域もあれば、今日では不適と思われる地域で最初の農耕が始まっているところもある。
他地域からの技術導入で平和裏にはじめたところ、苛烈な交代劇で始まったところもある。

「食糧生産の年代を推定する」
アメリカ大陸で食糧生産が始まったのはBC3千5百年以降であり、最古のひよこ豆はBC8千年、最古のエンマー小麦は肥沃な三日月地帯(以下FCfertile crescentという)でBC85百年に栽培され、BC65百年にギリシャに、BC5千年にはドイツに到達している。
牛もインドと西ユーラシアで過去1万年の間に家畜化された。図5-1

「野生種と飼育栽培種」
独自に食糧生産を始めたのは五地域であり、FC、中国、中米、南米、米国東部である。
FCBC8500年、中国がBC7500年、中米と南米がBC3500年、米国東部がBC2500でヨーロッパ西部へはBC6000年~3500年に伝わり、インダス流域にもFCよりBC7000年に伝わった。エジプトにはBC6000年に伝わっており家畜の飼育も殆ど同時に伝わったと思われる。 表5-1
これらの伝播は技術を先住民たちが平和裏に貰い受けるという形でなされ人口が入れ換わる(侵略)という形ではなかった。
近世になってカリホルニア、北米北西部、アルゼンチン、オーストラリア、シベリアの
先住民はヨーロッパからの農耕牧畜民によって大幅に入れ替わった、これは殺戮や伝染病が主因である。
先史時代で似たような人口構成の入れ変わりがあったのは中国南方からフィリッピン、
インドネシアへのオーストロネシア人の拡散、アフリカ赤道地帯のバンツー族の拡散で
ある。(2者の拡散については後出) 図51、表51

「一歩の差が大きな差へ」
食糧生産を他の地域に先んじた地域が銃や鉄を生み、疫病に対する免疫を発達させ他の狩猟採集民を侵略し一掃した。  


第6章 農耕を始めた人と始めなかった人

「農耕民の登場」
狩猟生活も厳しいだろうが農耕とて楽ではない、なぜ狩猟を棄てたのだろうか。

「食糧生産の発祥」
食糧生産は定住生活を始めて相当の時間を経過した後である。(定住=農耕ではない)
15千年前は農耕と狩猟が双方混在していた。

「時間と労働の配分」
野生動植物主体の食生活から飼育栽培動植物のそれへの変換に数千年を要している。
人が11千年前に食糧生産を始めたのは狩猟採集の不漁に備え食糧を貯蔵するためだった、という説もある。

「農耕を始めた人と始めなかった人」
ヨーロッパ中央、南東部は狩猟採集の生産性が低かったので農耕はBC5000年ころ急速に
広がったが、南西ヨーロッパでは狩猟採集の生産性が低くなかったのでゆっくりと広がる。
アメリカ大陸のインディアンはメキシコ先住民よりトウモロコシを導入した。(平和裏)

「食糧生産への移行をうながしたもの」(五つの要因)
1.この13千年の間に入手可能な動物資源が減少した。
2.時を同じうして栽培可能な野生種が増加した。
3.食糧生産に必要な技術(刈入れ、脱穀、貯蔵など)を開発した。
4.人口が増加し食糧確保の必要が増した、定住化による出産間隔の短縮も貢献した。
5.農耕民は人口の上で圧倒的で狩猟民を圧倒した。


7章 毒のないアーモンドのつくり方

「なぜ栽培を思いついたか」
栽培は時間をかけて遺伝子を変化させ利用価値の高いものにするという継続的行為の
積み重ねであった。  しかも栽培しやすいものとしにくいもながある。
エンドウはBC8000年、オリーブはBC4000年、いちごは中世とばらついているが初期人類は意識したとは思えない。

「排泄場は栽培実験場」
野生植物の種子は動物の消化器を通過しなければ発芽しないものが多い。
動物の食欲を引く植物は子孫を広く繁栄させることが出来る。
人類も栽培という意識はもたないで結果的に栽培を行っていたのである。

「毒のあるアーモンドの栽培化」
動物に食べられないように種子はまずく、果肉は甘くできている。
アーモンドも苦いが突然変異で苦くないアーモンドの木を見つけそれを栽培したと思われる。
ライ豆、スイカ、じゃがいも、なす、きゃべつも祖先種は苦かったり毒があるものである。
亜麻は古い農作物(BC7000年)でヨーロッパでは産業革命まで健在であった。

「突然変異種の選択」
味や果肉の大きさだけでなく、サヤや果皮のはじけない突然変異種が選択された。
人類はここで自然淘汰のベクトルを反転させた。(はじけない種子は広がらない筈だった)
これは人類が植物に施した重要な改良だった、FCの農業はここに端を発したといえる。
発芽抑制メカニズム(発芽時期の分散)を持つものも突然変異種の採用で解決した。

「栽培化された植物とされなかった植物」
小麦、大麦、エンドウは1万年前と早かった。数か月で収穫でき貯蔵も可能で自家受粉植物で遺伝子が残しやすかった。
オリーブ、いちじく(BC4000年)などは収穫までに数年を要し定住が必要だったが挿し木や播種で栽培できた。
りんご、なし(ギリシャ・ローマ時代)は接ぎ木の技術がなかった。
他殖性植物(自家受粉でないもの)は突然変異という偶然性が期待できない植物だった。

「食糧生産システム」
旧世界では鋤を使い動物に引かせて耕し手でつかんで種子をばらまき畑全体に単一作物を
植えた。カロリーと炭水化物は穀類から採った。
新世界では人力で鍬か棒で耕し、手で植え混作だった。カロリーと炭水化物は、いも、根菜だった。

「オークが栽培されなかった理由」
10年以上経たないと実がならない。
個体の選別栽培ができる確率が低い。
苦みをコントロールする遺伝子が複数である(アーモンドはひとつだった)。
苦みを受け入れる、りす、との競争に敗れた。
いちごやラズベリーが網や温室が発明されるまで栽培できなかったのはツグミとの競争に
敗れたからである。

「自然淘汰と人為的な淘汰」
野生での生存に適した特性を有する個体とは異なる特性を有する個体が畑での生存競争を
有利に展開できたのは人為的淘汰によるものである。


8章 リンゴのせいかインディアンのせいか

「人間の問題なのか、植物の問題なのか」
この答えは動物について述べる方が簡単である。植物は可能性のある顕花植物20万種からのアプローチはむつかしい。

「栽培化の地域差」
アメリカ大陸やニューギニアと比べてFCの農耕は質量ともに圧倒的であった。
定住生活は十分ペイした。

「FC地帯での食糧生産」
人類文明の最初の登場を可能にしたのは、人口増を賄う食糧、貯蔵可能性、非生産者階級の誕生によってであった。
家畜の飼育など食糧生産技術もあり、地中海気候は農耕に適していた。
穀類(1年草)は食用栽培にてきしておりこれらは群生していた。
麦は米やとうもろこしに比べてたんぱく質の含有量は多かった。
地上に種子をばらまかない、発芽タイミングの統一など品種改良(突然変異の選択)が
短期間のうちにできた。図81

「八種類の「起源作物」」
FCは他の地中海気候地帯に比べてその面積が広大であったこと、野生動植物の種類が多かったこと、地形が起伏に富み収穫期をずらせたこと、家畜化可能な哺乳類も豊富に生息していたことが幸いして8種の穀類、豆類と亜麻を手に入れた。
海岸線が短く魚介類の比較的乏しい地域であったことも狩猟採集生活に見切りを付けさせた要因である。 図8-2、表81

「動植物に関する知識」
FC地域の人々はこれらの知識を詳細にわたって持っていた。
エンマー小麦と大麦を最初の栽培作物として選んだことを見てもわかる。
自分の周囲にある植物については現代の最も博学な植物学者よりよく知っていた。

「ニューギニアの食糧生産」
4万年まえから人が住みBC7000年前から食糧生産を行っていたが野生動物は欠乏していた。
サトウキビ、バナナ、タロイモが主体でたんぱく質は乏しく子どもの腹がふくらみ、ネズミ、クモ,カエル、などで補給した。人肉を食べる習慣もあった。

「アメリカ東部の食生活」
BC2500年~1500年にカボチャ、ヒマワリ、サンプウイード、アカザの4種が栽培化された。BC500年~200年に新たにタテ、クサヨシ、ミナトムギクサの3種が加わり農耕が主体となる。紀元1100年ころトウモロコシ、インゲン豆、カボチャの新種がメキシコより伝わりミシシッピ周辺に首長社会が出現するが時すでに遅し、であった。
動物の飼育も犬のみでこれが人口増加を低く抑えた原因であった。
加えて北米原産の野生種の改良は現在の技術を持ってしても困難である。

「食糧生産と狩猟採集の関係」
農業のより早い発展を見たFC地帯はニューギニア、アメリカ東部の人々に比べてより早く、発達した科学技術、複雑な社会構造、他民族に感染しやすい伝染病に対する免疫力を発展させた。
狩猟採集を続けた地域はそういう資源が多かったというのではなく農耕に適した植物が
乏しかったということであった。

「食糧生産の開始を遅らせたもの」
栽培可能な野生種の分布状態は地域によって異なっていた。
FCには小麦が自生していた。

9章 なぜシマウマは家畜にならなかったか

「アンナ・カレーニナの原則」
家畜化にはすべての条件が備わっていることが必要で、どれか一つの条件が欠落したら他の条件がすべて満足しても不適である。
人類が家畜化に成功した動物は大半がユーラシア産の動物である。表91

「大型哺乳類と小型哺乳類」
大型哺乳類は食糧、衣類、運送、農耕手段、軍事力、肥料、免疫力の提供、と幅広いが小型哺乳類は犬やうさぎなどであるが大型のそれよりは効用が少ない。

「由緒ある家畜」
メジャーな5種(馬、牛、羊、ヤギ、豚)のほか地域種(ラクダ、ラマ、ヤクなど)の9種がある。表91
家畜化により野生種より有用になるよう人間によって品種改良がされている。

「家畜可能な哺乳類の地域差」
家畜可能な大型哺乳類は南米には2種類のみ生息し、北米、オーストラリア、アフリカ南部にはゼロ、に比べユーラシア大陸では13種と圧倒的であった。
これは過去4万年の間に絶滅種がいちばん少なかったのがユーラシア大陸であり他は人類の移住と共に絶滅した。表92

「他の地域からの家畜の受け入れ」
家畜を受け入れて他地域の民族を圧倒した民族も多くいる。
バンツー族農耕民、コイ族牧畜民、アメリカ先住民も17世紀末以降、馬を手に入れて戦いに利用している。シマウマやバファローを家畜化出来なかったのはこれら先住民の能力が劣っていたわけではない。


「家畜の初期段階としてのペット」
人間のペット好きは動物の家畜化をさまたげるような文化特性を共有していない証左である。

「すみやかな家畜化」
大型哺乳類の家畜化はBC4500年までに148種の中から5種類を飼育(選択)し終わっている。 表93

「繰り返し家畜化された動物」
牛、豚、犬などは各地域に亘って独自に飼育され進化した。(結果は同じだが)

「家畜化に失敗した動物」
失敗したのは人間の能力によるものではなく動物側に問題があった。
何千年という長い間、家畜化可能な動物を手にできる立場にあった人類もBC500年前に
家畜化された14種以外の大型哺乳類を家畜化することはできなかった。

「家畜化されなかった六つの理由」
1. 餌の問題、肉食哺乳類は経済効率が悪い。
2. 成長速度の問題、ゴリラや象は成長時間がかかる。
3. 繁殖上の問題、捕獲状態では繁殖しようとしない。
4. 気性の問題、ヒグマ、アフリカ水牛、カバなどは殺人者である。
5. パニックになりやすい性格の問題、鹿やレイヨウは神経質でびくびくしていて危険を感じると走りまわる。
6. 序列制のある集団を形成しない問題、群れをつくり集団の序列がはっきりしていることで人間がその頂点にたち効率よく支配できる。集団は生活環境を平和的に共有できるものでなければならない。(繁殖期に縄張り争いをしない)

「地理的分布、進化、生態系」
ユーラシア大陸の人々は他の大陸より家畜化可能な大型草食性哺乳類を数多く受け継いだ他の大陸の哺乳類は、すでにかなり高度な狩猟技術を発展させた人間集団に突然さらされるという不運に見舞われた。

10章 大地の広がる方向と住民の運命

「各大陸の地理的広がり」
ユーラシアは東西に、アメリカ、アフリカは南北に広がっている、これは文明の
広がる速度に影響した。 図101

「食糧生産の伝播の速度」
西南アジアからヨーロッパ、エジプト、北アフリカ、中央アジア、インダス渓谷へと伝播する速度が速く、アフリカのサヘル地域や西アフリカから東アフリカや南アフリカへの伝播や中米から北米への伝播は速度が遅かった。
後者では複数の栽培種を祖先種とする作物が多い。

[西南アジアからの広がり]
BC7000FCの食糧生産はBC6000年エジプト、BC5400年中央ヨーロッパに達した。
付随して車輪、文字、金属加工、酪農、果樹、ビール、ワインなど各種文明が伝わった。
この伝播の早さは土着の野生種の独自栽培化を思いとどまらせた。(プリエンプティヴ・ドメスティケーション) 図102

「東西方向の伝播はなぜ速かったか」
気象条件が似ている、緯度が同じ地域が広大であった。(ヨーロッパ人が赤道に住めなかったわけ)FCの作物はアイルランドから13千キロ離れた日本にまで広がっている。

「南北方向への伝播はなぜ遅かったか」
アフリカ大陸にはFCからエジプトへ伝わりエチオピアの高原地帯迄伝わったが熱帯地域が障壁となった。家畜もツエツエ蠅の壁があった。南アでは1652年ヨーロッパ人が来てからであり、黒人とヨーロッパ人の衝突、人種差別と抑圧を生んだ。

「アメリカ大陸における農作物の伝播」
アンデスの農作物や家畜は中央アメリカ低地の熱帯気候が壁となりメキシコ高原には到達しなかった。北米から南米にも同じ理由で伝わらなかった。 
(北米ミシシッピ文化はコロンブス以降疫病により短期間に幕を閉じた。)
北米の作物は同一種ではなく近縁種が多いのも伝播の速度が遅かったからである。

「技術発明の伝播」
アメリカ大陸にはテキサスなどの乾燥地帯の壁、インドには雨期の逆転という壁、(中国は独自発達でチベット、ヒマラヤの壁を克服)は農業の伝播だけでなく車輪や文字など他の文明の伝播速度にも影響した。  
しかしユーラシア大陸は他のどの大陸よりも圧倒的に有利であった。  2部終了