2013年4月26日金曜日

英語読書会20130407「Mere Christianity」Book2-1



2013年4月の英語読書会

1.      2013年4月の英語読書会では、Book2の第1章「対立する神についての考え方」(The Rival Concepts of God)という箇所を学びました。Book2は、いよいよキリスト教徒は何を信じているかということを取りあげます。

2.      まず人間には、何らかの神を信じている人とそれを信じない人とがいます。前者は多数で後者は少数です。クリスチャンは前者です。無神論者は後者です。

3.      神を信じる人については、さらにどのような神を信じているかに関しての二つの区分があります。一つは、神は善悪を超えているというものです。この人はあることを善と呼び、あることを悪と呼ぶが、これは見方の相違である、という考え方です。もう一つは、神は良い、あるいは正しいとするものです。神は私たちに一定の振る舞いを当然求めます。

4.      前者は、汎神論(Pantheism)です。プロシアの偉大な思想家Hegelはこれに属し、ヒンズー教も私の理解では、この分類になります。後者は、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教がこれに属します。

5.      汎神論とキリスト教の神観念との違いは、前述の大きな違いのほかにもう一つあります。汎神論者は、神は私たちが自分の体に生気(animate)を与えるように、宇宙に生気を与えるというものです。宇宙は神そのものであり、宇宙が存在しなければ、神は存在しないし、宇宙に存在するものはすべて神の一部であると考えます。ところが、キリスト教では、神が宇宙を創造したと考えます。人が絵を描いたり作曲したりするように。善悪を深刻に考えない場合には、この世界に存在するものは神の一部であるということは簡単ですが、深刻にあることを善と考え、あることを悪と考える場合には神は世界とは別のものであり、その世界にあるものの一部は神の意志に反しているということになるのです。癌や貧民街をとらえて、汎神論者は、これも見方を変えれば神であると認識するというが、クリスチャンは、とんでもない、と言うのです。キリスト教は戦う宗教です。神はこの世界―空間、時間、温暖、色彩、味覚、動物、野菜などは神の頭の中から作り出したものです。人が物語を作るように。しかし、キリスト教では、神が作り出した世界が悪くなってしまったと考え、神は私たちを正すことを声高に主張していると考えるのです。

6.      もちろん問題も提起されるのです。善なる神が世界を作ったならば、それがどうして悪くなってしまったのかということです。私(ルイス)が無神論者の時には、この問題に関するクリスチャンの弁明は聞こうとしませんでした。どんな議論をしようとも、所詮は、この世界は分別ある力(an intelligent power)によって作られなかったということだと考えていたからです。

7.      私が神を否定する論拠は、宇宙は残酷であり、不正であるからです。しかし、私は一体「正しい」(just)とか「不正」(unjust)とかの考えをどうして知ったのだろうか。人は、まっすぐな線という観念がなければ、曲がった(crooked)と言わない。この宇宙を不正であると呼ぶときに、私は何と比較しているのだろうか。もちろん私の公正の考え方(idea of justice)は私自身の個人的な考え方に過ぎないということも可能です。しかし、その考えをとれば、神を否定する論拠も崩壊してしまうのです。何故ならば、その議論は単に私の考えをたまたま満足させるものでなかったということでなくて、世界は実際に不正であるということが基礎になっているからです。こうして、神は存在しない―言い換えれば、実在するものは無意味であるーということを証明する行為そのものの中に、私は実在の一部―すなわち私の公正の観念―は意味を持っているということを見出したのです。したがって無神論はあまりにも単純すぎるということが分かったのです。全宇宙が無意味であるならば、私たちは宇宙が無意味であるということを決して知りえなかったことでしょう。もしも宇宙に光がなく、それゆえ目のある動物がいなければ、私たちは宇宙が暗い(dark)ということを決して知りえないでしょう。そのときには「暗い」という言葉は無意味だからです。

8.   話し合いでは次のようなことが意見交換された。

①    善なる神がこの世界を作ったとすれば、その世界がどうして悪くなったのか、という問いが出てくるが、ルイスが無神論者であるときに、その答えをクリスチャンから聞きたくなかったと言っている。所詮、そのような神は、分別ある存在とは思えないから、と述べているのは面白い。かつて新井白石が切支丹屋敷でシドチからキリスト教の説明を受けた時に、白石は同じ問題提起を西洋紀聞に記している。

②    ルイスは喩をしばしば使用するが、それがどのような意味で使われているかよく理解できないことがある。

③    この世の中に存在していることで神の存在、不存在を論じていることは誤りであるということを言っている。悪いものがあっても神の存在を否定することにはならない。

④    「正しい」という観念がなければ、「正しくない」という判断は生まれてこない。その場合、「正しい」という観念はどうして生まれてきたのだろうか。その観念を与えているのは、神ということになるのであろうか。

今回の議論では、本文の内容の理解を巡ってかなり激しい議論があった。書物を読むときに、その内容を理解することがやはり議論の出発点であるということは、参加者にはいつも銘記することが大切である。しかし、それに苦労する。それも読書会で互いに話しあう意味の一つである。

9.   次回の英語読書会は、2013年5月5日午後2時―3時半です。英語が得意でなくてもどうぞご参加下さい。Mere Christianity の訳本を読んで参加する方々もいます。

by masujima