2013年2月22日金曜日

読書会20130221「銃・病原菌・鉄」第一部



「銃・病原菌・鉄」 ジャレド・ダイアモンド著

●プロローグ 
「ニューギニア人の友人ヤリの素朴な疑問」
氷河期終了後1万3千年の歴史の間で文字、金属加工、産業を発達させた社会と、 文字なしの農耕社会や、石器を使う狩猟採集社会がそれぞれ出来上がった。
このような差が生じたのはなぜか。 
「現代社会の不均衡をうみだしたもの」
現代はヨーロッパや東アジアにいる民族と北アメリカへ移民した民族の子孫が世界の富と 権力を支配している。アフリカの民族はそれらを手に入れていない、オーストラリア、南北アメリカ、アフリカ最南端の人々は絶滅かそれに瀕している。 これらの事は1500年(コロンブス)以降に起きている。 
この時の差が不均衡をもたらした。
人類はBC1万1千年(最終氷河期終了時)には皆同じスタートラインにいた筈である。
BC1万1千年前からAD1500年までの間に何が起こったのか。 農業が起こり、家畜が飼育され、冶金が行われ、政治機構が発達し、文字が発明されるという変化(進歩?)はつねにユーラシア大陸が早かった。
AD1500年時点で独立戦争を戦えなかった先住民は殺戮や疫病で人口は激減している。 ハワイ、オーストラリア、シベリア、アメリカ、カナダ、ブラジル、アルゼンチン、チリの先住民達がそれに当たる。
6千の言語が消滅の危機にあり英語、中国語、ロシア語がそれらに替わりつつある。

「この考察への反対意見」
人類1万3千年の歴史は幸福への歩みだ、という判断(意見)は間違いである。
或る社会が他の社会より優れていると言おうとするものではない。
冷静に何が起こったかを理解することにしよう。

「人種による優劣という幻想」
西洋人は依然として人種差別的な説明を受け入れている(知的遺伝子を多く持っている)。IQテストは文化的学習能力の発達という視点からのテストにすぎない。
ジャングルの中で間抜けに見えるか、大都市の路上で間抜けに見えるか、で判断できない。

「人類史研究における重大な欠落」
銃・病原菌・鉄が他民族を殺し征服する要因であるが、なぜそれらがヨーロッパ人にもたらされたかの説明が欠落している。 そうでなければ民族間の生物学的差異という説得力あるタブーを信じ続けることになる。

「さまざまな学問的成果を援用する」
著者は医、言語、生物、歴史学などを使ってこの疑問に答えていきたい。



●第一部 第1章 1万3千年前のスタートライン

「人類の大躍進」
700万年前、人類出現の初舞台はアフリカであった。ゴリラ、チンパンジー、人へと分岐した。
400万年前、直立し、250万年前、脳容量が拡大した。(ジャワ原人は100万年前)
50万年前アフリカとヨーロッパの頭骨は現生人類に似ておりホモサピエンス。
10万年―5万年前が大躍進時代で狩猟技術(弓矢、槍、釣り針)や美意識(壁画) 、宗教意識(埋葬)が見られる。
ネアンデルタール人はクロマニオン人により数千年の内に絶滅させられている。
アフリカを出発した人類は100万年前までにユーラシア東端に4万年前までにオーストラリアに、1万2千年前までに北米に、1万年前までに南米南端に到達した。

「大型動物の絶滅」
3万年から4万年前、アフリカとユーラシアの人類が向かった先はオーストラリアとニューギニアだった。アジアとインドネシアは陸続きだったがオーストラリア、ニューギニアに行くには舟が必要だった。(世界最古の船)

オーストラリア、ニューギニアの大型動物は人類渡来以降絶滅した。
彼らは人類と出会ったことがなくその危険性に無知であった。アフリカ、ユーラシアの大型動物は何百万年も初期人類と過ごし人間を恐れることを学習していたがオーストラリア、ニューギニアの大型動物は準備する時間のないまま狩猟技術を身に付けた現生人類に出会ってしまった。
それは数千年の間の出来事でそのことは大型動物を家畜として飼育するチャンスをオーストラリア、ニューギニア先住民から奪った。

「南北アメリカ大陸での展開」
アメリカ大陸に移住するにはシベリアで生きることが条件であった。人類は2万年前にはシベリアに住んでいた、マンモスや大トナカイが絶滅したのはその頃である。
当時のベーリング海峡は歩いて渡る事が出来た。 
北米のクローヴィス遺跡は1万1千年前のものが多い。
アメリカ大陸には大型動物(象、馬、ライオン、ラクダなど)がいたがクローヴィス狩猟民によって1万7千年―1万2千年前に絶滅させられた。
このことはそれらを家畜として飼うというチャンスをアメリカ先住民から奪った。
[移住、順応、人口増加] このサイクルが大躍進のカギであった。
1万1千年前の各大陸をみて各大陸間の優劣を生じさせる要因を見つけることは その時点では難しい。

第2章 平和の民と戦う民の分かれ道
「マオリ族とモリオリ族」
1853年に起きたニュージランド、マオリ族(人口密度の高い技術力軍事力のある農耕民)によるチャダム島のモリオリ族(小さな孤立した狩猟採集民)の殲滅事件は歴史上太古より起こって来たことを近代において示したものである。
ルーツは同じポリネシア人でこのことはひとつのモデルケースになる。
BC1200年ごろに渡来した彼らはAD500年―1000年には住み着いている。モリオリ族が住んだチャダム島は生存スペースが狭く2000人がやっとで農業の不適地であり組織力も出来ていないから非好戦的とならざるをえない。
一方ニュージランドのマオリ族は10万人を擁し食糧貯蔵ができ身分階級や武器の発達があり好戦的であった。  この違いは居住する環境の違いだった。

「ポリネシアの島々の環境」
ポリネシアの島々は政冶、文明的に多様である。多様性の要因は気候、地質、海洋資源、面積、地形、他からの隔絶度などその環境に依っている。

「ポリネシアの島々の暮らし」
農耕民(熱帯)と狩猟民(寒帯)が存在する。

「人口密度の違いがもたらしたもの」
農耕民は人口密度が高く狩猟民は低い。人口密度が高いほど技術面や社会構造においてより複雑で専門化された集団が形成される。

「環境の違いと社会の分化」
3200年しか経っていないポリネシアでこれほどの異なった社会文明が存在している。一番人類が住むのが遅かったというアメリカ大陸でも1万3千年経過している。
環境の与える力を見せつけられる具体例である。



第3章 スペインとインカ帝国の激突

「ピサロと皇帝アタワルパ」
旧世界とアメリカ大陸の接触は1492年に始まり1532年ピサロ(スペイン)とアタワルパ(インカ皇帝)の出会いが劇的であった。
ピサロはカハマルカの高地でアタワルパを捕え身代金を取り殺してしまった。
この事件にはより普遍的な重要性がある。

「カハマルカの惨劇」
4万人の軍勢に守られた皇帝は168人のスペイン人の捕虜となり高官はすべて殺され7000人のインディオが死んだ。

「ピサロはなぜ勝利できたか」
ピサロは鉄製の銃、甲冑、剣、馬を持っていた。インディオは石、木、青銅のこん棒が武器であった。
(アメリカ先住民は銃や馬を持っていなかった)

カハマルカでの遭遇はインカにおける天然痘を原因とした内乱に乗じたものであった。
(南北アメリカ大陸の疫病による死者は95%に達する。)

ピサロには集権的な政治機構による支援と航海技術という利点もあった。
文字による情報手段を持っていたことも大きい。(コロンブスの航海などを伝える文書)
アタワルパ(インディオ)にはピサロ(スペイン)の情報はなかった。
(初めて人類をみた大型哺乳類のごとし)             第1部終了


次回の読書会は、4月18日(木)13:00からです。
第2部、第3部を読みます。