2013年1月23日水曜日

読書会20131018「犀星王朝小品集」「伊勢物語」



「犀星王朝小品集」「伊勢物語」
  
犀星王朝小品集とともに題材の一部となった伊勢物語を併読することとしました。
 伊勢物語は紫式部も愛読した平安初期の歌物語で在原業平の一代記です。
 
ローマ史の回顧の中に「キケロからマルクスアウレリウスまで、神々はもはやなく、キリストはまだいない、ひとり人間のみがある比類なき時代があった。」という言葉を残した人がいました。
  
伊勢物語の時代は儒教も武士道もなく、仏教は未消化な上流階級のものであり、万葉時代に続いて「ひとり人間のみがある比類なき時代」であったのかもしれません。
  
小品集の「津の国人」は伊勢物語二十四を題材にしたもので小品集の中でも圧巻です。
しかし伊勢物語の簡潔で余韻をもたせた文章はさすがと思います。
  
伊勢六十の「むかしのひとの袖の香ぞする」のくだりは伊勢二十四の何年か後の物語として読んでみてもおもしろいお話です。
  
小品集の「荻吹く歌」は大和物語から題材をとっていますが、以前読書会で読んだ谷崎潤一郎の「蘆刈」は同じ大和物語の同じ題材を使ったものでした。
谷崎の耽美的な表現(筋書き)がいいか犀星の折目正しい文章を良しとするか意見の分かれるところです。
  
小品集の「姫たちばな」は伊勢に見当たりませんので大和物語かも知れませんが似たような話は万葉集にもあります。(1809番)
  
小品集の「野に臥す者」は伊勢十二によるのでしょうが伊勢の設定自身も奇矯な感じを受けます。もっとロマンティックな設定があってもいいなとおもいました。。
  
近所の通りの名に「言問通り」というのがあります。
東大農学部の横を通って上野へ抜ける道です。
  
伊勢五のあずま下りに「なにしおわば いざこととはん(言問わん)みやこどり」というのがあり10年ぐらい前までは言問橋のたもとで言問団子を売っていたという話です。
  
業平がしおたれてこの近所をうろついたとき教会があったら、と思うと楽しくなります。
紀貫之は古今集の序で六歌仙(僧正遍照、在原業平、文屋康秀、喜撰、小野小町、大伴黒主)について有名な評論を試みております。
 
業平については、
「その心あまりて言葉足らず。しぼめる花の色なくてにほひ残れるがごとし。」と言い、例として伊勢四の「月やあらぬ・・」の歌を挙げています。
  
後世、伊勢物語を読んだ川柳のいくつかをお示しします。
  
業平の おしい事には地色也 (地色:素人女相手の色事)
烏帽子きて 築地の穴をよつんばい (伊勢五)
連れて逃げなよ と二条の后いひ (伊勢六)
やわやわと 重みのかかる芥川  (同上)
風吹かば どころか女房あらしなり (伊勢二十三)
杜若 いたまぬように公家は折   (折り句 伊勢九)
  
紐とく(伊勢三十七)という表現は艶っぽいと思われるかもしれませんが
万葉の時代より愛の誓い、操を守るなどにことよせて広く言われていたようです。
  
うるわしと 思えりけらし な忘れと 結びし紐の 解くらく思えば(2558
二人して 結びし紐を一人して 吾は解きみじ 直にあふまでは(2919
吾妹子が 下にも著よと贈りたる 衣の紐を吾解かめやも(3585
秋風に 今か今かと紐解きて うち待ちをるに月かたぶきぬ(4311
海原を 遠く渡りて年経とも 児らが結べる紐解くなゆめ(4334
筑紫なる にほう児ゆえに 陸奥の かとりおとめの結ひし紐解く(3427
白たえの 君が下紐吾さへに 今日結びてなあはむ日のため(3181) 
人に見ゆる うへは結びて 人の見ぬ下紐あけて恋ふる日ぞ多き(2851
  
后候補の女性を連れて逃げた業平の奔放な恋物語を読むとき
待賢門院たま子への想いを抱いて出家する西行法師との違いが時代の推移を
思わせます。
  
  知らざりき 雲ゐのよそに見し月の かげを袂に宿すべしとは
  面影の 忘らるまじき別れかな 名残を人の月にとどめて
  花に染む 心のいかで残りけむ 捨てはててきと思うわが身に
  
by murao