2012年12月16日日曜日

2012年12月の英語読書会




1.    12月は第3章人間性の法則の実存性(The Reality of the Law)を学んだ。前章までにC.S.Louisは、二つのことを明らかにした。すなわち、①人間は人間性の法則あるいは思慮分別の法則を持っていること、②しかし、それを実際には守ることできないこと、である。この法則が万有引力の法則と違うのは、後者にはすべてのものがそれに従って動くが、前者の法則については、人間は実際にはそれに従って動かない、ということであり、それにもかかわらず、本来はこうすべきだ(How they ought to behave)ということを知っているという点である。

2.    一つの石があるとする。その石が良いか悪いかは、庭石にするには良いとか悪いとかのように、そう判断する人にとって便利か不便かできまる。しかし、裏切者(Traitor)は、それを利用する人に便益を与えるので、その人に沢山の報酬を与えるが、人は裏切者を人間のクズ(Human Vermin)と考える。人間性の法則ないし思慮分別の法則に従うと、人にとって便利かどうかを判断基準にしてはいない。

3.    ある人は、個々人にとって便利かどうかは判断基準になってはいないが、人間全体(Human race as a whole)にとって役立つかどうかで判断するのではないか、という。「なぜ私は他者を立てなければならないのか」と私が問えば、あなたは「社会の幸福とか安全にとって良いから」と答えるだろう。そこで「なぜ私は自分に利益があるとわかる以外のときに、社会のことを大切にしなければならないのか」と私が言えば、あなたは「あなたは自分を利することだけを考えてはいけないから」だと答えるであろう。こうなると最初の問いに戻ってしまうのである。したがって、「思慮分別の行動をとらなければいけない理由として、「社会全体を利するから」というのは、答えになっていないのである。だから、「人は他者のことを配慮しなければならない」(Men ought to be unselfish)ということからさらに奥深く進めないのである。

4.    本章で、Luis は、次のことを結論としている。
私たちの中に、人間性の法則(The Law of Human Nature)ないし善悪の基準(The Rule of Right and Wrong)が厳として存在している。それは人間にとって便利か不便かという判断の基準ではない。その基準は厳として存在しているが、私たちが作り上げたものではない。それは、私たちが事実(fact)と呼ぶものとは違う。いわば、人間行動の事実の上にかつそれを超えて存在しているあるもの(something above and beyond the ordinary facts of men’s  behavior)である。しかも、私たちが作ったものでもないのに私たちに押し迫ってくるものである。

5.    この章を読みながら、私(増島)は、大学で自分のゼミの研究会の話し合いの中で、一人の学生が「日本は自分の国に多くの貧しい人がいるのに、しかも巨額の赤字を累積しているときに、なぜ多額の税金を使って、発展途上国の人々を助けなければいけないのでしょうか」と疑問を提起したのを思い出す。この問いに対して、「日本のODAは、各国の日本に対する信頼を確保するため、それが世界平和や安定に寄与するから」と答えるのは、日本にとっての便益の判断から行うという答えになる。Louisの結論を踏まえれば、もっと踏み込んだ解明が必要だったのだろう。

6.     次回の英語読書会は、201316日午後2時―3時半です。英語が得意でなくてもどうぞご参加下さい。Mere Christianity の訳本を読んで参加する方々ももいます。後半の30分間は、多くの参加者の日本語による議論の時間にあてるというのが、参加者の希望ですので、そのような時間の配分に留意します。