2012年11月21日水曜日

英語読書会2012年10月、11月報告「Mere Christianity」


2012年10月・11月の英語読書会


1.    20129月より、新しいテキストとして、C.S.Louis ”Mere Christianity”を用いることとなった。この書物は、キリスト教信仰の案内書の名作のひとつである。全世界的に数百万の読者に読まれたものである。
 
2.    この書物の内容は、第二次世界大戦の最中、BBC(英国放送協会)の依頼を受け、C.S.Louis がキリスト教について1942年から1944年にかけて行った講演なのである。当時イギリスはナチス・ドイツによりロンドンが空爆を受け、異常時であった。そのような中で、キリスト教とは何かが語られたのである。
 
3.     “Mere Christianity”の構成は、Book 1RIGHT AND WRONG AS A CLUE TO THE MEANING OF THE UNIVERSE, Book 2: WHATCHRISTIANS BELIEVE, Book 3: CHRISTIAN BEHAVIOR, Book 4: BEYOND PERSONALITY; OR FIRST STEPS IN THE DOCTRINE OF THE TRINITYとなっている。10月読書会では、Book 1第1章人間性の法則(The Law of Human Natureを読んだ。
 
4.    これまでの英語読書会のように、最初にみながOne paragraphずつ音読し、さらにNative speakersの朗読に耳を傾けた。原文を味わうのには音読や朗読に耳を傾けるのはとてもよい。後半30分間は話し合いの時間に当てることにした。
 

5.    第1章の内容は、おおむね次のようなものである。
 
6.        私たちがケンカするとき、例えば、「あなたが座っている席は私が今まで座っていた席ですよ!」とか「何で無理矢理に割り込んでくるのですか!」とか言って、相手の言動が不愉快というより、相手の行動が人として守るべき基準から外れていると責める。人間には、正しいとか誤りであるとかを判断する基準がある。これを「人間性の法則」(The Law of Human Nature)と呼ぶ。これは、「道徳法則」(Moral Law)、あるいは「分別のある行動基準」(Rule of Decent Behavior)とも呼ぶ。この法則が「重力の法則」と違うのは、人間特有の約束事だということである。「重力の法則」には人間は誰でも従わざるを得ないが、人間性の法則は、従うこともできるがそれに反することもできる。人間は生まれた時から、「人間性の法則」を知っている。しかし、誰一人としてこの自然法を守ることには成功していない。ルイスは、この2点、すなわち、①人間には行動するときにそれに従うべきだという基準があり、その基準を取り払うことはできない、②人間はその法則の存在を知っているのにもかかわらず、それを守ることができない、と強調する。しかもこの2点は、私たち人間自身や私たちが住むこの宇宙について明確に理解するための基礎であると言うのである。
 
7.        11月読書会では、第2章「いくつかの反論」(Some Objectionsを読んだ。ルイスは、前章で述べた2点が私たち人間について考える基礎であると述べた。ルイスが、BBC放送でこれを述べたときに、いろいろな反論が寄せられたと述べている。そこで、それらの反論を紹介し、さらにこの2点をさらに明確にしたい、というのが本章の狙いである。
 
8.        ある反論は、人間性の法則と呼ぶものは、ほ乳類の本能ではないかと指摘する。ルイスは、確かに「母親の愛」(Mother love)、「性本能」(Sexual instinct)、「食物本能」(the food instinct)がある。助けたいという本能もある。しかし、ルイスが指摘するのは、「助けたいという感情」と「助けなければいけないという感情」とは異なるというのである。ある人が、溺れているときに、助けたいという本能と、自分も危険に巻き込まれることから自分を守りたいという本能が働く。そのときに、自分の身を守りたいという本能を抑えて、助けたいという本能に従うとき、二つの本能の間に立って「こうすべきだ」と判断する基準がある。その基準は、本能とは異なるものである。この基準が道徳法則、人間性の法則と呼ばれるものである。本能には、良い衝動、悪い衝動というものはない。母親の愛が常に良いとは限らない。他人の子供に対して不当に働く場合もある。性本能が悪いとは限らない。結婚した人にとって大切な場合がある。本能を絶対視するときには、何一つとして私たちを悪魔の世界に陥れないものはない。
 
9.        また別の反論は、「人間性の法則」と呼ぶものは、「社会的な取り決め」(Social convention)ではないかと指摘する。社会的な取り決めとして両親から教え込まれ、あるいは法律で定められるのもの(例えば交通ルール)が当然ある、しかし、「道徳法則」あるいは「人間性の法則」は、若干の違いはあるにしても、時代を超え、国を超えほぼ共通しているのである。ある人は、ある文明社会の道徳法則がより優れていると言う。それはあるかも知れない。改革者とかパイオニアと呼ばれる人たちの努力はそこにある。しかし、ある時期のある国の道徳規準がより優れていると何によって判断するのか。それは、そう判断する人が一つの基準を持っているからである。その基準がルイスの述べる人間性の法則あるいは道徳規準である。
 
10.   ルイスのこの主張は、Mere Christianity の基盤である。実際、ルイスの考えを踏まえると、ルイスの言う「道徳規準」あるいは「人間性の法則」の存在を考えざるを得ない。このブログを担当している私(増島)もいろいろなことを思い出す。
  例えば、①ある山の頂上にお団子を売っている店があるとする。登山の人たちが楽しみにしている。お団子の数は一日200個で値段は一つ100円である。登山者は、二つ三つと買う。あるときに、あるお金持ちが登山してそれを全部買い取るという人が現れた。お店のおばあさんは、断固それに応じなかった。楽しみに登山してくる人を考えたからである。お金持ちは大変怒っておばあさんを非難した。このケースでそれを売るべきか、それを売らないことが良いのかということは、一体何に基づいて判断するか。このおばあさんの価値判断は、正しいなと思う。しかし、その価値判断は一体何か。誰が決めたのか。できるだけ多くの人に公平に喜びを与えるという考えが基底にあるからであろうが、それは一体何処で決まっているのか。②パンが二つある。4人の空腹な子供がそれを欲した。しかし、そのうちの二人が力ずくで一つずつ食べてしまった。これを私たちはどのように判断するか。多くの人はそれを不当と判断するであろう。何故不当と判断するのか。その場合は、パンを二つに切って半分ずつ4人の子供が食べる方がよいと考える。恐らく他の人も同じだろう。その場合の基準は、「公平」という基準であろうが、しかし、それは何処に書いてあるのか、誰が決めているのか。そのような取り決めはない。このケースについては、文明社会であろうと、未開社会だろうと、人びとはそのように判断するに違いない。このようなことを考えていくと、私たちの人間生活はこのような基準を知らぬ間に身に付けて生きていることを知る。そのことが、Mere Christianity の出発点として語られていることが実に興味深い。

11.  次回の英語読書会は、2012年12月2日午後2時―3時半です。英語が得意でなくてもどうぞご参加下さい。Mere Christianity の訳本を読んで参加する方々ももいます。後半の30分間は、多くの参加者の日本語による議論の時間にあてるというのが、参加者の希望ですので、そのような時間の配分に留意します。