2012年6月2日土曜日

英語読書会2012年3月・4月


1. 2012年3月4日(日)と4月1日(日)午後1時半に開かれた英語読書会では、『あなたに聞いて欲しい聖書の世界』“The World of the Bible: Hear How It Lives Today”(増島俊之:著、トム・ディラン:訳)の第9章「器のひびに漏れる光―兄詢也を悼む」(Slipping through a Cracked Vessel: A light-Mourning My Older Brother)を読みました。

2. この文章は、2006年11月19日に逝去した兄増島詢也を偲び、兄の生きざまから学んだことを書きました。もともと増島家は日蓮宗でしたが、私が学生時代に宣教師に出会ったことがきっかけで家族の間にいつの間にかキリスト教が入り込んできました。不思議なことですが、私自身は何ら伝道活動をした覚えがありませんが、いつ頃か兄も聖書を読むようになり、受洗しました。兄は、若い時代の過労がもとで、多くの病を患いました。あるとき肝炎を治療を担当していた医師から余命はおよそ十年と言われたことがきっかけで、自分の私財を投じて草加の地に教会を作りました。兄は日本の土壌に合った宣教の必要性を自覚していました。兄は、純粋な信仰の持ち主であった、と思います。しかし、そのことは、この世での平穏な、安らかな生活を保障するものではありませんでした。病弱はいつも生きることを苦しみとしました。その中で純な精神を保ちつつ、この世を生きようとすれば、あるときはわがままに自己の主張を通し、あるときは経営者として非情な決断をし、あるときは冷たく振る舞い、あるときは厳しく欠点を指摘するような生き方をしたと思います。

3. 椎名麟三は、「信仰を与えられているから、最後になって、のたうち回ることが許されている」と述べています。それは兄にとって安堵の言葉でした。小林一茶も「おもて見せ 裏を見せて 散る落ち葉」と、信仰者のありのままの姿を述べていますが、その言葉も良く繰り返していました。聖書の中には、人間を土の器という表現でとらえているところがあります(コリント後書四・七)。人間は、真に壊れやすい存在です。兄も間違いなく土の器であったと思います。しかもその土の器は、体にも心にも多くのひび割れがありました。

4. しかし、不思議なことにそのひび割れのすき間から、なにやら光が漏れ出ていました。その光のようなもので、あるときはぬくもりを得、あるときは励まされ、慰められ、助けられました。私たちには目に見えないけれども、何かこの世ではあり得ないようなものが宿っていました。しかし、兄は光がもれていることを自分では最後まで知らずにいたと思います。私にはそのような兄がいとおしく、尊かったです。

5. 私たちは、人間の生き方を探し求めます。また、偉人といわれる伝記から学ぼうとします。しかし、私たちが心を静め、目をこらせば、私たちが学ぶべき人物は私たちのすぐ近くにいます。自分の職場や身の回りにいる人々、すなわち、市井の人に本当の生き方を見るのではないかと考えています。私にとって、兄はその典型であります。この文章をかきました一番大きな契機もそこにあります。この文章を多くの方が読んで下さり、自分の身の回りの人々に目を向け、感謝するような機会になれば、筆者は本当に幸せです。
 
6. 次回の英語読書会は、2012年5月6日(日)午後1時半です。最終章第10章「説得と納得―新井白石著『西洋紀聞』に学ぶ」(Persuasion and Consent-Learning from Hakuseki Arai’s “A Record of Things Heard from the West”)を読みます。