2012年2月17日金曜日

読書会20120216「ローマの歴史」(第2回)

「ローマの歴史」モンタネッリ著 藤沢道郎訳(中公文庫)

ローマ帝国の歴史については、イギリス文学の白眉とされるギボンの衰亡史(平家物語の滅びの美学?)、共和制を賛美したモンテスキューの盛衰原因論、最近では塩野七生の「ローマ人の物語」と参考書はたくさんありますが量と読みやすさから本書を選びました。
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ローマの歴史の中で最も面白い(?)部分がその2(187ページから362ページ)です。

地中海に大帝国を築いたローマが絶えざる反乱と戦いながらその一方で覇権を争った権力闘争が行われ最後にオクタビアヌスが勝利を得るのですが閨閥にお家騒動の種があり問題を残します。
グラックス兄弟の改革は歴史の教科書でお馴染の出来事です。
マリウス、スラの血で血を洗う殺戮、暴行、掠奪は傭兵隊の採用により一層可能であったのではないでしょうか。
後世トーマス・モアは、その著ユートピアのなかで「盗人はいざとなれば大胆不敵な兵隊にならないとも限らないし兵隊だっていつ何時勇敢な盗人にならないとも限りませんからね。そのくらいこの二つの商売はお互いに意気投合しているのです。」と述べています。

カエサル、アントニウス、ポンペイウスそしてクレオパトラとくればシェイクスピア劇を思い出して胸の高鳴る方も多いでしょう。
配するに雄弁家のキケロ、哲人政治家セネカと多士済々の時代でした。

それでは目次別のまとめをごらんください。

⑰カト―(保守派の孤独な闘い)
ポエニ戦争勝利で文弱の風潮が一気に強くなりこれに対して保守派監察官カトーが抵抗する。とくにギリシャかぶれのリベラルな有力者スキピオ・アフリカヌスには真正面から対決、スキピオは政治危機を護民官グラックス(グラックス兄弟の父)により助けられる。

⑱野蛮な征服者をとりこにした(ヘレニズム化)
ローマ人はカンネの大敗のときギリシャの神にすがった、ディオニソス信仰が隆盛であった。
エンニウスは国民的叙事詩「年代記」(アエネアスからポエニ戦役まで)を著した。 彼自身はエピキュリアンであったようだ。 ほかにプラトゥス、テレンティウスなどの詩人を輩出、スキピオ家は文化人のサロンとして影響力をもった。

⑲グラックス兄弟(改革)
スキピオの支援をしたグラックスの2児でティベリウスとガイウス(皇帝に非ず)。
母のコルネルアは一流の文化人でサロンの女主人であった。 当時農村は破壊され奴隷の反乱が各地で起こっていた。ティベリウス護民官は農地の改革を提案するも保守派元老院のみでなくリベラルなスキピオのサロンにも反対され元老院によって撲殺された。(BC132年)
弟のガイウスも護民官となり小麦価格の切り下げを行うが元老院と対立、グラックス派は破れガイウスは自殺、保守派の勝利となる。

⑳マリウス(傭兵隊のパワーポリテック)
ヌミディア王位簒奪事件があり簒奪者ユグルタから宗主国ローマの要人に賄賂がばらまかれる。メルテス執政官により明るみに出る。メルテスの部下マリウスが執政官となりユグルタ戦に勝利。
そのころガリア人の侵攻があったマリウスは弱体化した国民軍をあきらめて傭兵軍に切り替えこれが勝因となってガリア族、キンブリ族を撃破するもマリウスに政治手腕はなく元老院にも民衆にも見放されて一旦引退する。
その後、護民官ドルーススの改革提案があったがドルーススが暗殺されると全土に反乱、奴隷の反乱も加わり無政府状態になるがマリウスが復帰し血の粛清で秩序を回復する。

(21)スラ
B.C.88年執政就任、好戦的な男でユグルタ戦にもガリア戦にも実質上の功労者だった。
ミトリダテス討伐で指揮官をマリウスと争い勝利する。マリウスは亡命しスラは東征に赴く。スラの留守中キンナ、オクタヴィウス両執政官同志の対立から内乱となる。
マリウスが帰国、反対派(オクタヴィウス)を殺戮、スラを罷免1年間恐怖政治が続く。
一方スラはアテネを滅ぼしミトリダテス軍に大勝。スラはイタリアに向かって進軍、ポンペイウスが参軍する。マリウス軍は惨敗、双方による殺戮が繰り返され
恐怖政治は続いた。 復古体制となりスラは70歳で引退。

(22)ローマの晩餐(腐敗)
富=権力がすべてとなり腐敗と堕落が支配階級に浸透した。
有力者(富裕層)は子育てをいやがり出生率は低下し名家の断絶が生じた。 

(23)キケロ(ポンペイウス、クラッススの台頭)
ポンペイウス、クラッススはいずれもスラの腹心であった。
ポンペイウスはスペインの反乱を鎮圧、その間イタリアではスパルタクスの乱が勃発クラッススが鎮圧に向かうがポンペイウスも参加して鎮圧に成功(B.C.71年)
二人は権力を握る。二人はスラの復古体制を止めるべく貴族の権限縮小を図る。
民会とキケロの支持を得るが元老院とは対立する(元老院議員であったカエサルのみが支持を表明)。その間カティリーナのクーデターがおきるが鎮圧される。
(24)カエサル(めまぐるしい政略結婚)
元老院(保守派)と対立するポンペイウスの支持者(元老院議員)として歴史に登場。
2度目の妻はキンナの娘コルネリア、ポンペイウスの妻、クラッススの妻とも通じポンペイウスの妻とは3度目の結婚。クラッススの財政支援をうけてスペイン属州国務官を経て執政に立候補、ポンペイウスとクラッスス(平民派)の応援で当選。民会が元老院を圧倒する。
ポンペイウス、カエサルの娘ユリアと結婚。カエサルは3度目の妻ポンペイアと離婚、
次期執政ピソの娘カルプニアと結婚。 カエサルはポンペイアの不倫の相手クロディウスを支援して護民官にする。その後ガリア総督となり軍事力育成を目指す。

(25)ガリア征服(カエサル不動の実力を得る)
ヘルヴェティー族40万人が降伏、ゲルマニア人15万人が全滅、ガリア全土征服の報に元老院は警戒を強める。カエサルはポンペイウスクラッススと三頭政治の強化を図る。
亡命先から呼び戻されたキケロも新体制を支持するがのちに反対の立場をとる。
クラッススとポンペイウスは執政に、カエサルの総督は5年延長を決め、二人の執政退任後クラッススはシリア、ポンペイウスはスペインを統治することで合意。
カエサルはガリア全土で起きた反乱を鎮圧しガリアを完全制覇(B.C.51年)
ポンペイウスの妻ユリア(カエサルの娘)死去、ポンペイウスはカエサルの更なる婚姻政策提案に応えず保守派と結びローマに居座る。ローマでは反カエサルの火の手が上がる。

(26)ルピコン河
カエサルはローマ(保守派)との妥協を模索するが入れられずB.C.49年1月10日ルピコンを渡る。(賽は投げられたり)ポンペイウス軍はこれを迎えることなくローマを出る。
カエサル、ローマに無血入城、アルバニア、ファルサロスの戦いでポンペイウス大敗、アフリカに逃れるも殺される。 カエサル、クレオパトラと会うクレオパトラと幼児カエサリオンを連れてローマへ凱旋。

(27)暗殺
カエサル、ローマに帰還、治安を軍力(暴力?)で回復。
エジプト、スペインの対抗勢力を圧倒し終身独裁官に就任。
ローマ市民権を全イタリアに拡大、官僚と兵力を地方民に期待した。
敵に寛容(自信家)だったカエサルは将来の暗殺者カシウス(カト―の息子、ブルートスの義兄)などを赦した。
B.C.48年3月15日元老院においてカシウス、ブルートウスらによって暗殺さる。
アントニウスが激高した群衆と犯人との調停を行い、二人を属州総督とし二人ともローマを脱出。
カエサルの後継者は遺言状によりガイウス・オクタヴィウスと判明。

(28)アントニウスとクレオパトラ
アントニウスとオクタビアヌスは対立するが元老院とキケロはオクタビアヌスを支持。
モディナの戦いでオクタビアヌスが勝利する。その後元老院はオクタビアヌスとも対立
オクタビアヌスはレピドゥスを仲介にアントニウスと講和、第二次三頭政治(B.C.43年)となる。カエサル暗殺者の処刑がありキケロも殺される。
マケドニア、シリアにいたブルートゥス、カシウスもオクタビアヌス、アントニウス連合軍により敗死。オクタビアヌスはヨーロッパ、レピドゥスはアフリカ、アントニウスはエジプト、ギリシャ、中東を得る。  
  アントニウス、エジプトでクレオパトラに会う。
ローマでアントニウスの妻フルビアが弟のルキウスと反乱を企てオクタビアヌスによって成敗される。
アントニウスはオクタビアヌスの姉オクタビアと結婚するも間もなく離婚、クレオパトラと結婚。

(29)アウグストス
オクタビアヌスはクレオパトラに宣戦布告、アクティウムの海戦に勝利、アントニウス、クレオパトラ自殺(捕虜には凱旋式後殺害か奴隷が待っていたが自殺者は埋葬された。―ローマ史には自死者が多い。)
オクタビアヌスは国内の政治改革を行う、国軍の縮小、官僚組織の構築。 
  元老院はアウグストスの称号をおくり共和制は名実ともに終わり、「アウグストスの平和」が来る。
養子ティベリウスを隠棲先のロードス島から呼び戻し後継者とする。
親衛隊を創設する。(カエサル暗殺の教訓?)
上層階級の風俗は退廃し離婚・再婚と産児制限で有力名門家庭は崩壊する。
B.C.14年 オクタビアヌスは76歳で死去。
  オクタビアヌス家の諸問題
  祖母ユリアはカエサルの妹、二度目の妻スルリボニアとの間に娘ユリアがあったが離婚。ネロ(キリスト教迫害者ではない)の妻リヴィアと結婚、リヴィアには連れ子ティベリウスと胎内の子ドルーススがあったが二人はオクタビアヌスの養子となる。
娘のユリアは結婚後夫マルケスの死後有能副官のマルクス・アグリッパと結婚、アグリッパの死後、ティベリウスに嫁ぐ、夫たちはいずれもそれまでの妻とは離婚させられた。結局身持ちが悪くユリアは流刑となる。
後年ティベリウスはおいのゲルマニクス(弟ドルーススの子)死のけん疑をかけられゲルマニクス夫人のアグリッピーナに責められることになる。アグリッピーナはユリアとアグリッパの子ティベリウスには義理の娘。

(30)ホラティウスとリヴィウス(詩人と史家)
ローマの詩人ヴェルギリウスはアウグストスの支援を受けホラティウスなど多くの詩人を育成した。アウグストスは詩を道徳維持する道具にしたいと考えた。
ホラテイウスは「風刺詩集」「書簡体詩集」を著し代表的詩人と言われる。 
  リヴィウスは「歴史」(ローマ市創建よりポエニ戦まで)を著し厳格な風俗を賛美した。
アウグストス時代の最高の記念碑といわれる。

(31)ティベリウスとカリグラ
ティベリウスは最初アグリッパの娘ヴィプサニアと結婚するがのちアウグストスの娘(義姉)ユリアと結婚させられる。一時ロードス島に隠棲するがアウグストスの死で皇帝に。(ユリアはその前に追放になる)
ティベリウスは善政を布くが皇帝暗殺陰謀事件を機にカプリ島に隠棲する。
その後、親衛隊長陰謀事件が起きカプリ島より帰るが死去(暗殺の噂あり) 。
ゲルマニクスとアグリッピーナの子ガイウス(カリグラと称す)を後継者とした。
カリグラは狂気の帝王で親衛隊長カシウス・ケレアスにより暗殺される。(治世4年)

(32)クラウディスとセネカ
親衛隊はカリグラの叔父、(ドルーススの子)で白痴のようにみえたクラウディスを擁立するがクラウディスは善政を布きブリタニアを征服する。最後の妻アグリッピーナ(ネロの母)により毒殺される。ネロが即位し最初はセネカの補佐を得て善政を布くが母アグリッピーナと仲違いし女色に溺れオクタビアと離婚、ポンパエアを妻とする。
(33)ネロ
母アグリッピーナを殺害、セネカは離れる、先妻オクタビアも殺害、ローマに大火が起こるがキリスト教徒犯人説をとなえ迫害を行う。皇帝に対する陰謀に加担したとしてセネカも自殺する。スペイン総督ガルバの反乱に元老院が呼応、ガルバを皇帝としネロは自殺する。

(34)ポンペイ 
  B.C.79年ベスビオ火山の大噴火で埋没、当時のギリシャ文明の影響をうけた資料が豊富に残された。
  北部の都市は誕生間もなく南部の都市の方が繁栄していた。しかも政争とは無関係であり破壊から守られていた。   

(第2回は以上です) 

学生センターの春休みに合わせて、3月はお休みです。
次回は、4月19日(木) 13:30から、ローマの歴史の最終回です。
 
murao