2011年1月21日金曜日

読書会20110120「啄木歌集」

今回は「啄木歌集」を取り上げました。

「牛飼いが 歌詠む時に世の中の あたらしき歌大いに起こる」
伊藤左千夫は新時代の到来をうながした。

岩手渋民村出身の啄木は、和歌を平易な「詩」に変えることであたらしい歌を提起した。

与謝野晶子は啄木の死に臨んで
「啄木が 嘘を云うとき春風に 吹かるる如くおもいしもわれ」
と詠んで彼の人柄を愛したことを述べている。

以下、歌集(一握の砂、悲しき玩具)より人口に膾炙したものを列挙する。

「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて蟹とたわむる」

「頬につたうなみだのごはず一握の 砂を示し人を忘れず」

「大といふ字を百あまり砂に書き 死ぬことをやめて帰り来たれり」

「たはむれに母を背負ひてそのあまり 軽ろきに泣きて三歩歩まず」
 (もと之れ同根より生ず、と嘆いた曾稙七歩の吟を想起する)

「こころよく我にはたらく仕事あれ それをし遂げて死なむと思う」(就活の厳しさ?)

「『さばかりの事に死ぬるや』 『さばかりの事に生くるや』よせよせ問答」

「鏡屋の 前に来てふと驚きぬ 見すぼらしくも歩むものかな」 (老人の実感?)

「はたらけどはたらけど猶わがくらし 楽にならざりぢっと手を見る」
(じっと手を見るではじっとりした手のよう、現代仮名使いの壁か?)

「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買い来て妻としたしむ」(妻のありがたさ)

「顔あかめ怒りしことがあくる日は さほどにもなきをさびしがるなり」
(照れくささと自己嫌悪)

「己が名をほのかに呼びて涙せし 十四の春にかえるすべなし」(若き日の陶酔)

「先んじて恋の甘さとかなしさを 知りしわれなり 先んじて老ゆ」(早熟の嗟嘆)

「ふるさとの訛なつかし 停車場の 人ごみの中にそを聴きにゆく」(上野駅に碑あり)

「石をもて追わるるごとく ふるさとを 出でしかなしみ消ゆる時なし」

「ふるさとの山に向かいて 言うことなし ふるさとの山はありがたきかな」
(ふるさとの人と自然とに対する屈折した思い、室生犀星は
  ふるさとは遠きにありて思うもの そして悲しく詠うもの 
   よしやうらぶれて異土の乞食(かたい)となるとても
   帰るところにあるまじき・・ と詠った。)

「わが村に 初めてイエスクリストの 道を説きたる 若き女かな」

「わが為さむこと世に尽きて 長き日をかしくもあはれ 物を思うか」(退職述懐)

「おそ秋の 空気を三尺四方ばかり 吸ひてわが児の死にゆきしかな」

「かなしくも 夜明くるまでは残りいぬ 息きれし児の肌のぬくもり」
(序文に「亡児賢一に手向く」とある、

 山上憶良の
「少(わか)ければ 道行知らじ 幣(まい)はせむ 黄泉(した)への使い 背負(おい)て通らせ」を想起する・・憶良もまた同じ悲しみにくれた?

 憶良は「栗はめば 子どもおもほゆ 瓜はめば ましてしのばゆ いづくより 来たりしものか まなかいに もとなかかりて やすいしなさぬ」と詠み、
 また「しろがねも こがねも玉も なにせむに まされるたから 子にしかめやも」
 と子煩悩ぶりを発揮したが貧窮問答歌などで社会の闇をも見つめている。

 啄木も「百姓の 多くは酒を やめしといふ もっと困らば なにをやめるらむ」
 と問題提起をしている。

 与謝野晶子が「君死にたまうことなかれ」と日露戦争反戦を詠い国賊とののしられても
 「おなごは いくさぎらいにて そうろう」と姿勢を貫いた同じ心情が啄木をして
 大逆事件のあとA letter from prisonを世に残さしめた。 享年26歳。

皆で参加者のお連れ合いが書かれた文章「啄木釧路に漂流す―極冷えの76日間」を読み
啄木の知られざる側面を発見して興奮しました。
 
それにしても明治の作家たちはどうしてこうも貧乏だったのでしょう。
社会保障制度が行き届きすぎている現代では想像を絶するものですした。

大逆事件に関連して、今の我々をリードすべき価値観はあるのかという議論がなされました。
キリスト教を奉ずる教会において・・!?。

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総勢9名と賑やかでした。

次回は2月17日(木)
読む本は「ラ・ロシュフコー箴言集」です。
こんどは賑やかではないかもしれません。
                  
 報告:ムラオ